わたしは転職活動を経て、ある外資系の航空会社に客室乗務員として内定をいただいていた。
しかしこの「内定」とは、「面接はパスしているが、その後の審査結果によっては不合格になる可能性も含んでいる」という、なんとも危うい、曖昧なステータスである。
「その後の審査」とはこの場合、身体検査を指していた。

ただ身体検査で不合格になることはかなり稀であると聞いていたし、わたしはとにかく希望のエアラインに合格できたことが嬉しくて、ハッピーな毎日を過ごしていた。

そんなわたしの元に届いた一通のメールで状況は一変する。
そこには簡素な英語でこう書かれていた。
「審査の結果、残念ながら不合格という結果になりました」
信じられなくて、何度も文面を見返した。

確かにわたしは幼い頃、腎臓の病気が原因で手術をし、そのせいで今でも尿検査の際、数値に若干の異常がみられる。しかし病気自体は完治し、担当医からも問題なしと言われてきた。
それなのに、どうして。

「健康な体に産んであげられなくてごめんね」母のメールに嗚咽した

わたしはすぐ母に電話をした。気が動転していて携帯を持つ手が震えた。
「とにかく会社に連絡しなさい」という母のアドバイスに従い、わたしは「もう一度身体検査を受けさせて欲しい」という旨のメールを送った。念のため日本支社にも送っておいた。
けれど結果はNO。すでに仕事を辞めていたわたしは、一気に絶望の淵に立たされることとなった。

航空会社で働きたいと思い始めてから、ずっと憧れていた会社だった。面接に合格した瞬間の喜びは今でも忘れられない。
わたしは毎日泣いて過ごした。
「わたしにはCAとしての適性がない」、そう考えると、自分自身のすべてを否定されたような気がした。
そんなわたしを心配してくれる家族に八つ当たりし、口論が絶えなくなった。時には夜中に家を飛び出し、当てもなく街を彷徨った。
ある日、家族と顔を合わせないようにしていたわたしに対し、母からこんなメールが送られてきた。
「腎臓はママのせいだね。健康な体に産んであげられなくてごめんね」
わたしは嗚咽した。
親にそんなことを言わせてしまった自分が情けなくて、悲しくて、感情がちりぢりに弾けとぶような感覚。

違う航空会社に合格したけれど、傷は癒えないまま

このままではいけない。そう思い、わたしは再び面接を受け始めた。
そしてご縁があり、違う航空会社に合格。今度は身体検査も無事パスし、渡航が確定した(航空会社によって身体検査の合格ラインは異なる)。心からの安堵を覚えた瞬間だった。

しかし、だからと言って当時の傷が癒えたわけではなかった。
「もし何事もなくあの会社に入社していたら」と考えることは今でもある。
起こらなかった出来事についてあれこれ思いめぐらせることに、生産性などまったくない。
けれど、わたしという人間はそうもいかないらしく、未練がましく「もし」の世界に思いをはせる。

もちろん、内定した会社には満足しているし、そこで素晴らしい同期に巡り会えたことは一生の財産だと思っている。
それでも、掴めなかった未来を思うたび、わたしの胸はしめつけられる。不合格になった会社の情報を意図的に遮断している。
そんなとき、ああ、わたしはまだ全然立ち直れていないんだなあ、と実感するのだ。

悲しみを手放そうとすることはやめた。いつか傷跡を告白できれば

おそらく、この悲しみがなくなることは一生ない。
一生なんて大げさな、と思われるかもしれない。けれどこの出来事は、わたしにとって重すぎた。「結果オーライ」だとしても、そこに至るまでの過程で知った痛みは深く体に刻まれる。
人生の「もし」は永遠に知ることができない。その代わりに得られた喜びを糧にして、人は自分を納得させる。そうすることでしか歩き出せない、脆い生き物だから。
わたしは悲しみを手放そうとすることをやめた。
「これでよかった」と思えても、思えなくてもいい。いつか、「こんなに苦しいことがあったんだ」と傷跡をそっと露出させ、告白できる自分になれれば。