上司と縁を切った。

自分の夢を追いたいから。って伝えたことはもちろん本音。女性として生きていく上で、最良の選択をしたい。っていつも自分に問うていた。でもそれよりも、上司との関係が重くのしかかっていた。

上司に少しだけ悩みを打ち明けた。全部話したら、私、壊れる

上司は仕事ができる。他人の弱点に気付いたらすぐに指摘することが習慣化されており、私も、上司のもとでは失敗を恐れることがなくなった。難しい案件に頭を抱えたときも、難しく考え過ぎていた状況に、余白を与えるような言葉をくれた。

「最近、元気ないね。ご飯でも行く?」
「え、いいんですか。すみません。ありがとうございます」

どうやら私、元気がないらしい。

必死で完璧にやろうとしてるのに出来ない自分を責め続けていた。居酒屋で2杯目にさしかかったとき、たしかに疲れてるなと気付く。上司の顔色を伺いつつ言葉を選ぶ傍ら、次から次に脳には愚痴が浮かぶ。ここまで言ったらどうなるかな。

「全部、一回吐き出したらいいよ」

上司に最大限の感謝とともに注意を払いながら、少しだけ悩みを打ち明ける。本当に全部話したら、私、壊れる。上司と仕事がしづらくなる気がした。

「全部話したらいいのに」。私の胸に、チクリと針が突き刺さる

翌週、少しだけ悩みを話したことで、上司からどう見られるのかと恐れながらも出社した。上司は変わらない態度で仕事をしていた。よかった、先週と同じ。しかし、私が悩みを全て打ち明けなかったことに気付いていた。

「全部話したらいいのに」
「またご飯行かないとね」

何気ない会話なのに、チクリと私の胸に針が突き刺さる。

誘われてご飯に行くのは普通のこと。しかし、行く度に心に浮かぶモヤモヤは何だろう。
有益な情報をたくさん頂いた。しかし、なぜか気持ちが晴れない。

あ、自分の選択権がない。

行きたいときに行く。
行きたくないときには行かない。

単純なことを言い出すことのできない重たい何かがのしかかっていた。悩みを全て伝えても叱られることはない。なのに、私の身体は人間らしくなのか何なのか、疲れを感じるようになっていた。大きな大きな出来事は、小さな飲みの席からはじまっていた。

上司と縁を切るという決断。自分で決められる、と実感した

「退職させていただきます」

特定の人との関係を断ち切ることは、とてつもない壁にみえる。その壁を超えるとどうなるか。その先を知るのは、その人自身。

十人十色ということばに倣えば、退職するかしないかは、どちらも無意味だ。みんな違ってみんな良いというように、それをどう意味付けするか。これしか存在し得ないのだ。

上司と縁を切るという決断。
自分自身で決められると実感した瞬間。

幼少期から大学卒業に至るまで、周りの人にたくさん支えていただきながらも、様々なことを自らの意志で決断してきた。会社に入ってからの私は、その感覚をどこかに置いてきてしまったようだ。

自分の夢を追うことは、一筋縄では絶対にいかない。自分の行ったことは、全て責任を負うことになるからだ。しかし、同時に全て決断していく自由が、そこには生まれている。

女性として生きていくには、知恵が必要だ。
自分をどう活かすか。
人と人との繋がりをどう築くのか。
これらは、各々が決めることだ。

退職後の朝。
目覚めたら、心が幸せでワクワクしていて、笑っている自分がいた。