考えてみれば、高校時代からのアルバイト時代も含めて、もう12年くらい働いている。

最初に働いたのは地元の和菓子屋、それから紆余曲折を経て、今は正社員としてメーカー勤め。

その12年間毎月私にはお給料日があり、今も昔もそのわずかなお給料の範囲で、どうにかこうにか暮らしてきた。

12年間働いた。慣れない在宅勤務で眠れない その先で出会ったもの 

学生の時は自分のお小遣いと携帯代を賄うのみだったが、ここ数年は一人暮らしして生計はすべて自分でたてているのだから、私は結構頑張ってきたし、頑張っている!といってもいいんじゃないか?と思う。

でも、残念ながら、言えないのである。

私はこの1年間、全く自分をほめてあげられなくて、ずっと苦しんでいる。

きっかけはコロナだ。慣れない在宅勤務で睡眠障害を起こし、夜11時にベッドへ入っても朝4時まで眠れない生活。

5時間ずっと暗闇を見つめ続けていると、なんだか自分がみじめになってくる。隣部屋のおじさんはどうも変な人のようで、たまにうめき声や一人で怒鳴る声が聞こえてくる。

それすらもみじめに感じる。私はこんな薄い壁の部屋にしか住めなくて、独りで…。

もっと経済力があれば、騒音にも悩まされず、ペット可の物件に住んで犬でも飼いながら、優雅に暮らせたかもしれない。

自分のなりたい理想像が、私を苦しめる

「もっとこうだったなら、ああだったなら。」

考え出すときりがないのだ。なりたい自分に全然なれていないという気持ちが、針のように私を刺す。

このなりたい自分、が曲者である。

そう、私は常に働くことを通じて、なりたい自分を体現しようとしてきたのだ。

それ自体は別に良いのだけれど、なんせその理想像は、ささやかなくせして際限がないのである。

私は数年前までずっと、経済的に親から自立した人間になりたいと思っていた。

転職3社目 理想像を叶えた後にやってきた焦燥感

今の会社は中途入社したのだが、それまでの会社は薄給で、実家暮らししか選択肢がなく、それがつらかった。

勝手に親にも申し訳なさを感じていた。どんどん焦り、自分が嫌いになっていき、これはいかんと転職活動を始め、3社目の今でようやく家を出られるだけの収入を得られるようになった。

つまり私はいま、何年か越しの願望を叶えたところなのである。

それなのに、再びやってきてしまったこの焦燥感。
一瞬自分を認めてあげられても、ある日突然私の中に大音声がとどろき、糾弾されるのだ。

今回はこうだ。

「お前は毎月これだけしか貯金できていない、いい部屋にも住んでいない。今の仕事はどうせ事務職に毛が生えた程度のもの。この大変化の時代に、どんな未来があるんだ。それでどうする、みじめなやつめ――」

こうなったらもうおしまいだ。いったいどうなりたいのか、そのためにどうしたらいいのかを考えて、何かしなくてはいけなくなる。

webスキルを身に着け、ゆくゆくは転職 自分を認められるその日まで

今回は散々思考を巡らせ、コロナ後の社会で通用するような人材になるため、webスキルを身に着けて、チャンスがあれば転職、もしくは自分一人でわずかでもお金が稼げるようになりたい、という結論に至った。

いい部屋、いい暮らしはすべて、その後の話だ。

すでにそのように活躍している人はたくさんいる。本当にすごいと思う。

正直、当てがなさ過ぎて呆然とするが、あきらめないで自分に努力をプラスしていくしかない。

実現に時間がかかればかかるほど、年齢的に不利になっていくこともあるだろう。そうしたらその度に軌道修正しなければならない。

時々、働く以外に自己実現の場を求められたらよかったなあと思うことがある。
もしくは、何も感じないものになって、穏やかに、ただ現実を享受しながら生きていければよかったのに、とも。

でも、月並みな言葉だが自分の気持ちだけは無視できない。

大海原に手ぶらで乗り出すような気持ちで、私は人生を模索し続けている。

いつか、完全に自分を認めてあげられる日が来るまで。どうか来てくれ、そんな日。