連休に親友にカフェでも行かない?とメッセージを送った。
そしたらさらっと一言、
「整形してかなり腫れてるんだよね、びっくりするかもだけどそれでもよければ!」
色々な感情が一気に湧いた。

素直に教えてくれた友人と、自分を守るために隠した私

まずは驚きだった。えっ!整形したんだ。
しかもさらっと教えてくれるんだ。
隠し通している私とは違う、素敵な子だな、という羨望と少し自己嫌悪。
もう一つは仲間意識だった。
元々可愛いのに努力して、きっと怖かったよね。自分のコンプレックスを受け入れて、どうにかしようと、恐怖もお金も全部乗り越えて決断したんだね。素敵だし、強いし、超可愛い。

その言葉のまま伝えたかったけど、言えなかった。ちょっと迷った。自分も整形してるって言いたかった。でも言わなかった。親友だけど、分かち合いたい気持ちもあるけど、やっぱり言いたくなかった。

それはなんで何だろう。
私は200万以上かけた整形をしている。彼女はその整形が初めてみたいだったし、「その程度でこの顔なの?」と思われそうで嫌だったからだ。
整形していると誰かが告白する度に、この悪口が放たれる。それを嫌になるほど見てきた。いくら自分が自分のこと可愛いと思ってても、やっぱこういう悪口は嫌だ。なんで赤の他人に品定めされなきゃいけないんだろう。

自分を守るために私は整形を告白しなかった。「元々超可愛いのにもっと可愛くなろうってすごい、素敵だね」とだけ伝えた。
だから、素直に言える彼女にはその葛藤がないか、私のことを信じてくれたのか、理由はわからないけど素直に言えることはとてもすごいことだ。

自分のことを丸ごと誰かに知ってもらいたいって、私だって思う

そしてもっと正直に言うと、「顔整ってるね!」と言われるのがすごく好き。そうでしょう!整形したもん!死ぬほど泣いて死ぬほど努力した!綺麗に決まっている!と思えて気持ちいい。なのでみんなの中では整形してない私でいたかった。
私は、「整形してない普通に綺麗な女の子」でいたかった。

それは私の本心だから、あの時彼女に整形を打ち明けなくてよかったと心から思う。でも素直に人に言うからこそ得られるものもある。嘘をついていると言う罪悪感はないだろうし、誰かに自分の葛藤や努力を分かってもらえるかもしれない。自分のことを丸ごと誰かに知ってもらいたいという思いも私にある。

彼女は元々弱みを見せるのが上手な子だった。辛い時とかうまく行かない時も誰か助けてとヘルプを出せる子だ。
私はそうじゃない。人に弱音を吐くのがとても苦手だ。自分が焦っているところとか弱いところを誰にも見られたくない。カッコつけてしまう。

だからこそ整形もそうだし、誰にも言わずに結果が出るまで努力し続ける力はある。
でも、彼女のように素直な生き方もあるんだと思う。たまにそういう生き方もいいなあって思ったりする。

まずは自分を愛すことから。鏡の前の私、今日も可愛い!

うーん、でもやっぱり、私は顔がそこそこ綺麗で、そこそこ仕事ができるヤツでいたい。
でももう少し大人になったらカッコつけないで、ありのままの自分をさらけ出せるようになるかもしれない。どちらがいいとかじゃない、どちらの生き方が自分を幸せにするかだ。
そして0か100じゃなくていい。だからたまには誰かに整形まで至った私の努力と苦悩を聞いてもらおうと思う。
それがまさに今です。聞いてくれてありがとうございます。

最近私の周りで整形を決意する子が多いです。みんなすごく可愛いのにもっと可愛くなろうって努力する姿は最高に美しい。
ただ、それが誰かに傷つけられたせいとか、悲しい傷跡があるなら、その心ない犯人をぶん殴りたいです。

美に基準なんて本当はないんだと思う。
そうわかっていても、誰かが決めてしまった基準がまた蔓延る世界で、手放しにそう言うことは難しい。私はかなりその基準に踊らされている方だ。でもまずは自分を愛すことから、鏡の前で今日も私は可愛い!と言うことから私は始めています!
自分がそう思えるなら、きっと基準なんてなんの当てにもならなくなる日が来るはずだから。