私が自分の過去を変えるなら、中学での私の行動や考えを変えたい。

小学生の頃は何も考えず、自分が楽しいと思うことをしたり、お友達と和気藹々と遊んでいたりした。走るのが好きで人よりも少し足が速くて、身体を動かすことによって得られる開放感なども味わった。

同級生に負けた絶望感から自分に自信がなくなった。同級生があまり話してくれなくなった

中学では陸上競技部に所属し、中距離走のグループに入った。最初の練習はとても楽しく、周りの先輩や同級生も優しく部活が楽しかった。

中学1年生のある日、1kmのタイムを測定するときに、自分の全力を出しても同級生には追いつけなかった。その差は約10秒ほどだっただろうか。私は悔しいというよりも、自分には限界があり、普段毎日走っていて自信があったのに同じ練習をしていた同級生に負けてしまった絶望感が勝った。
そこから、身体が思うように動かずタイムは落ちていく一方で、2、3年生の時の方が1年生の時よりもタイムが遅いという結果を出してしまった。

だんだん自分に自信がなくなり、自分に意見を言う価値もないと考えて自分の意見も言えない周りに合わせるだけの人間になってしまった。
日々、部活を辞めたいと思いながら、ダラダラと部活を続けていると、同級生があまり話してくれなくなった。
私は中学3年生の春に部活をやめ、先生がその同級生と話し合いの場を設けてくれたときには、同級生に泣きながら「部活を始めて最初の方はタイムの差がまだなかったのに」「自分の意見を言わないからあなたがよくわからない」と言われた。

自分の考えや気持ちを人に言うことは、とても大切なことだと考えた

私は人に合わせることで誰かを傷つけることもないし、自分には意見や自分の考えを言う資格もないと思っていたので驚いたと共に、普段泣かない同級生をここまで泣かせてしまっている自分に腹を立てた。

私が中学生の時に、1kmのタイムを10秒縮めることだけを考えて一生懸命頑張っていたら今頃、同級生とは縁が切れることなく、自分自身の考え方も変わっていたのかもしれない。自分の気持ちに素直になって誰かに早めに相談していたらもっと違ったのかもしれない。
私は自分の中にある気持ちを他人に言うことは、とても大切なことだと考えた。
そして、問題解決に向けて目標を掲げ、それを達成することで得られる満足感を味わうべきだ。私にとって陸上は少し、達成するには難しかったのかもしれないが。

自分の気持ちや、やりたいことに耳を傾けて。「これが自分だ」と考えられる自分で

もし、今の自分の現状に満足できていない人がいたら、思い切って周りの人に相談することもいいだろう。また、頑張った上で達成することが難しいと判断した場合は、逃げることも視野に入れていいと考える。
自分の気持ちや、やりたいことに耳を傾けて自分が一番輝ける場所に移動した方が、自分の心の状態も、考え方も変わる。

私は当時、辞めることは甘えだ、他の人からもいい印象は与えないと思って、部活を途中まで辞めなかった。その私の頑固さが生み出した失敗である。
部活を辞めたからって友達が友達でなくなるわけでもないし、私が友達を失ったのは部活を辞めたからではなく、部活に対する態度だった。

どんなにタイムが遅くても、部活を辞めたとしても「これが自分だ」と考えていれば、中学時代はもっと変わっていたかもしれない。