「今度、結婚するの」そう言われた時、私はきちんと笑えていただろうか。

告白することなくふられた相手は、愛したひとは、女の人だった。

付き合いたいわけじゃない、ずっとこの時が続けばいいと思っていた

その人とは、職場の先輩・後輩の関係だった。年齢こそ私が上だったが、先輩は私より入社が3年早かった。私自身が年齢など関係なく、分からないことがあれば教えを乞うのは当たり前という精神だったので、先輩が年下だろうが関係なかった。

先輩は謙虚な人だった。偉ぶるわけでもなく、いつも丁寧に仕事のやり方を教えてくれた。先輩風を吹かされたことなど、ただの一度もなかったし、きっと相性が良いとはこういうことかと思ったほど。前世はきっと恋人や夫婦だったに違いないと、錯覚するほど私の“先輩好き”は社内でも有名で、息のあったコンビとして認識されていた。

一緒に壁を乗り越え、鬱々とした気持ちの時はお互いに受け止めあって、ピンチの時はフォローをして助け合う。楽しいことは共有し、くだらないことで笑っては、お互いをかけがえのないものとして捉えていた。そんな日々の営みが愛おしかった。

慕っていた。きっと、職場の先輩という枠組みを越えて。ただ、これを恋かと聞かれたら、返答が難しい。でも、当時の私が一番心を許せたのは先輩だった。先輩とどうにかなりたいわけではなかったけれど、ずっとこの時が続けばいいと思っていた。永遠に続く時間なんてものはないのに。

「彼氏ができました」。その報告を受けた時、すぐに別れると思ったし、別れろと願って口にもした。先輩は私の反応を予想していたのか爆笑していたが、周囲はドン引きだったと聞く。私の心は千々に乱れていたし、実際その後しばらくは、荒れたように思う。

私が先に出会ったのに。私の方が絶対に先輩を楽しませることができるし、愛されてもいるのに…どうして。

先輩に愛する私の「交際・結婚反対キャンペーン」は続いた

答えはとても簡単で、思いを口にして、行動に移したのが先輩の彼氏になった男だったというだけの話だ。私は同じ土俵にも立てていなかった。いや、立てるはずもなかったのである。私は先輩の望みを知っていたから。

先輩は「子供が欲しい」と言っていた。頻繁に口にしていたわけではないから、本当に零したのは一度や二度だったと思う。それを聞いた瞬間、私では絶対に先輩の願いを叶えてあげられないのだと悟った。

だから私は、自分の気持ちを明確に言葉にするのは絶対にやめようと誓った。どうにかなりたいなどと思ってはいけない。この思いは墓場まで持っていって、一緒に死んでもらう。それでいいと思った。

ただ、交際に反対しないという考えは微塵も無かったので、私の“交際反対キャンペーン”は、二人に結婚の話が出るまで続いた。我ながらまったく潔くなかったし、格好良くない。

しかも、結婚の話が出てからは、“結婚反対キャンペーン”と名前を変えて活動を継続していたから、往生際の悪さは筋金入りだと思う。

結婚には文字通り、一番反対していた。誰に咎められようとも反対の姿勢を崩さなかったし、なんなら、結婚式当日も披露宴に出席しながら反対していた。どんな表情でいればいいのかわからなかったから、本当は欠席してしまいたかったけれど、悲しき哉。私は愛の奴隷なので、先輩から招待状が来たのだから行かないという選択肢はなかった。

式をぶち壊してやろうと考えなかったわけでもないが、私の行動を予測していた周囲にあらかじめ釘を刺されていたのと、先輩を悲しませるのは本意ではないし、先輩に恥をかかせる可能性が僅かでもあったことを考慮して実行することはなかった。友人らは「お前ならやりかねん。よく思い留まった」と私を労ってきた。自分でもそう思う。

ぶち壊してやりたかった結婚式では、先輩のご姉弟の方や同期の方を差し置いて、中座のエスコートを任された。大変光栄なことだった。それまで笑顔など一切なく、なんともいえない顔でいた私をすくい上げて、一瞬で笑顔にさせた先輩は本当にすごいと思ったし、自分のチョロさにわりと本気で目眩がした。けれど、あの時の感動を今でも鮮明に覚えている。先輩はやっぱりきれいだった。

先輩への思いは恋ではなく「愛」だ!だから、あなたが幸せならいい

決定的な連絡があったのは、それから2年後。「赤ちゃんができたの」。

死刑宣告に近かった。子は鎹。これで先輩とあの忌まわしき男を引き離すのは、本格的に難しくなった。そう、私はまだ諦めてなかったのである。爪を噛む私が想像に難くなかったのだろう、先輩は私に新しい命の報告をするのをひどく躊躇ったらしい。

私がどれだけ先輩を大切に思っていて、どれだけ結婚に反対していたかを知っているから。それを聞いて、もういいかと思ってしまった私がいた。今でも先輩が私を気にかけてくれていて、私の思いを忘れないでいてくれるならそれでいいかと思えるようになっていた。

2年の歳月が私を丸くした…などという美談ではない。私の根本はあまり変わっていない。先輩を慕ったままだし、先輩の夫は大嫌いで憎いままだし。ただ、私、先輩にも言ってないことがあるんです。私もね、人並みに子供が好きなんです、本当に言ったことなかったんですけど。

だから、新しい命の誕生には「おめでとう」以外の言葉は、似つかわしくないと思っているんです。

先輩への思いは恋ではないかもしれない。けれど、愛だ。あなたが笑ってくれるなら、幸せでいてくれるなら、なんだっていい。

だから、元気な赤ん坊を産んで下さい。きっと一番に出産祝いをお送りしますから。