「愛してる」という言葉が好きじゃない。この言葉の意味を、私が深刻に受け取りすぎていることが原因かもしれない。
「愛してる」って言葉は、私にとってすごく重い一言だった
高校生の時、いわゆる恋バナの最中に一人が「キスの後に大好きって軽いよね。愛してるって言ってほしい」と言った。いやいやと思ったけれど、他の友達も一斉に「わかる~」と同意したので、否定の言葉は飲み込んだ。
そうなのか、そんなに軽い愛してるでいいのか。私にとって愛してるは、『美女と野獣』のベルと野獣、『風立ちぬ』の二郎と菜穂子、はたまた『めぞん一刻』の裕作と響子など、この人がいるから生きていける、この人のためなら自分を犠牲にできるという、とてもウェットな関係の中で、やっとしっくりくる言葉なのだ。
そして、ほとんど、いや下手したら一度もこの言葉は、物語の中ででてこない。それだけ重い一言ということだろう。なので、40名のクラスの中で、彼氏彼女の組み合わせが変わるような世界で「愛してる」はひどくちぐはぐだと思ったし、スパイス代わりにして恋愛を盛り上げるなんてまっぴらごめんだった。
そんな高校生の頃から付き合い始めた彼氏は「愛してる」とは言わない人だった。誕生日やクリスマスはサプライズを考えてプレゼントもくれるし、毎日連絡をくれる。「人の役に立ちたい」と言って、時間がかかるうえに難易度も高い職業を目指し、勉強を頑張っていた。
倹約家な彼に「なにか深刻な事情」があるのかもと思い、理由を聞いた
大学入学後も、特に問題なく関係が続いていたけれど、少し気になることがあった。やけに倹約家なのだ。バイトで稼いだお金は、ほぼ貯金に回っていた。なにか深刻な事情があるのかもと思い、心配して理由を聞くと、想像していなかった言葉が返ってきた。
「いまの職業になるとすると、○○のほうが先に社会人になるでしょ。だから結婚してもお金の負担がかからないようにと思って、いろいろ我慢しているんだ」と言われたのだ。
え、私のため? 結婚? と驚いて、彼が愛おしくなって抱きついて「ありがとう」と言った。となったら素敵だが、実際は全く違った。申し訳ないけど、ゾッとしたのだ。
私を理由に、なにかを犠牲にしているという事実に。その時感じた怖さは、“○○のために”考えられたサプライズやアルバイトを頑張る姿を見て、ますます強くなり結局別れた。
そもそも「愛してる」がしっくりくる関係を、望んでいなかったのかも
ちぐはぐな「愛してる」が好きじゃないと思っていたが、そもそも「愛してる」がしっくりくる関係を、私は望んでいなかったのかもしれない。この人のためなら頑張れるではなくて、この人が頑張っているから自分も頑張ろうというのがいい。
言葉は似ているけれど、前者はこの人>自分で、後者はこの人=自分で全然違う。自分が幸せにしたいと思う彼は、きっと私のヒーローになりたかったのだろう。でも、私は誰かに幸せにしてもらうヒロインにはなりたくなかった。
自分も幸せ、あなたも幸せ、だからもっと幸せとなれるパートナーがほしかったし、そうありたかったのだ。
どっちがいい悪いではない。ただ、私と彼では考えが違っただけだ。別れてずいぶん経ってから、人づてに彼が夢を叶えたと聞いた。私は残念ながら、ヒロインにもパートナーにもならなかったけれど、彼が恋人でも困っている人でも、とにかく誰かのヒーローになっているかもしれない。そうなっていたらいいなと思った。