「ごめん、好きな人がいる…」
その何文字かの言葉を伝えるためだけに、なんどもコトバがつまる。
私は「彼と幸せになる」と決めて、彼の告白を受け取ったのに…
バイト先で出会った彼は、180センチ越えの昭和の俳優を連想させるような人だった。話が合うけど、何がが足りない。
だけど、振り向いてくれないあの人を追いかけているばかりで、ぽっかりと空いた穴を少しだけ見ないふりをするのには好都合だった彼。都合がいい自分に嫌気がさしちゃう。
彼から告白されるまで、そう時間はかからなかった。「好き」の返事は、いつも「ありがとう」。いつからこんなにクズになったんだろう。
バイト先のほんの少しタバコの香りがするあの人に気に入られようと、躍起になっていた。気付けば音楽の趣味も服の趣味も、タバコの銘柄もあの人色に染まっていった。サシ飲みをしてあの人の家のベットで、朝を迎えてからだったのかな。シンデレラになりたかった少女は、死んでしまった。
あの人にとっての私は、たぶん都合のいい女でしかなくって。それでもあの人の「今ひま?」の一言を待って、携帯から目が離せない夜もあった。
好意を伝えても無駄なんだって知ってたから、都合のいい女のままでいた。でも、こんなずぶずぶの関係もタバコもあの人と一緒に聴いたあの曲も今日でおしまい。「今日から彼とシアワセになるんだ」その決心のもと、彼の告白を受けとった。
私を幸せにしてくれる彼。でも、私の心は「あの人」に奪われていた
たぶんいや、絶対。彼はあの人と違って、私を幸せにしてくれる。たぶん、好きになれる。そう信じて好きなフリをしてた。
そんな宙ぶらりんな状況もあの人からの「今日ひま?」の一言で崩れてしまった。ばれなければいいと思って返信した瞬間、私は原付の鍵を握って、家を飛び出していた。あの人がいるあの部屋へ。
あのタバコの香り。前の前の彼女が置いていったままの大きなテディベア。あの人を構成する全てが、私の思考回路をダメにしていく。
だけど、あの人の匂いがするベットで迎えた朝は、なんだかひどく理性的でいつもよりほんのちょっと居心地が悪かった。あ、そっか、これが浮気か…。
ニュースで見ているような、友達の友達の彼氏がやったことを伝聞したかのようにどこか他人事で、意外と呆気ないそんな感覚。だけど、なにか大事なものを失った気がした。
汚れたっ私は、彼の「好き」に「ありがとう」も言えなくなっていた
彼からの「会いたい」という電話。数日ぶりに会う彼は、声を弾ませて楽しそうに笑っていた。そんな彼にうまく笑いかけることが出来くて、たぶん不自然な顔をしてた私。
コロナの時代で良かったと感じたのは、これが初めてだった。
たぶん、もう彼の「好き」に対して「ありがとう」も言えなくなってしまったんだ。私は「あのね…?」と何度も切り出そうとする。いつもは、いいことも悪いこともするすると喉を通って流れ出るコトバ達も、今日ばかりは大人しい。
ああ、こんなこと言うと彼は傷ついちゃうだろうか。どうしてこんな私になっちゃったんだろうか。なんか、汚れちゃったな…。自己嫌悪のスイッチが入る。
私は最後の最後で、初めて彼に「ごめん、好きな人がいる…」と本心を伝えた。