「ねぇ、久しぶりに喋らない?」
喋らない?の誘い方が貴方らしくて、久しぶりに会えることが嬉しくて、震える手でうんとだけ打つ。
苦しい。胸のどきどきが、止まってくれない。

彼とは中学で知り合い、大学生で付き合った。
お互い忙しくてあまり会える時は少なかったけど、それでも大好きだった。けれどすれ違い、些細なことで傷つくようになった。心の距離も遠のいた。
『辛いから別れよう。一緒にいてもさえはつまらなそうだし、もう僕のことを好きじゃないと思うよ』
一度思われてしまったものはもうだめだ。私は呆気なく振られた。
涙が止まらなかった。寝込み、泣き続けた。
…今すぐ貴方の胸の中で泣けたらどんなに良いだろう。
当たり前にあった心の拠り所をなくしても、季節は巡る。私は少しずつ心を強くした。そして冬も深まった今日、こうして突然、連絡が来たのだ。

幾らか大人になった気分だ。けれど、昔も今も彼に甘えてしまっている

日暮れの銀座。1年ぶりに彼と再会した。彼は久しぶりに東京に来たみたい。
「さえはかっこよくなったね。そしてずっと素敵だね」
そうそう、彼は会う度に素敵だねと言ってくれた。もう随分とその言葉を聞いていなかったな。
…でもね、私は、貴方のおかげで強くなったのよ。
私を強くしてくれてありがとうね」
精一杯の笑顔で応える。
「気付いてなかったんだけど、僕って意外と強そうに見えて繊細なのかも」
彼がはにかむ。その性は私も同じ。
…そんなこと、付き合ってた時から私は知ってたよ。

「…素敵だから自信持ってって、さえはいつも言うよね」
ふらっと入ったダイニングで、ハイボールの注がれたグラスを見つめながら、彼が言う。
あぁ、この感じ。貴方は私の深いところまで知ってるのね。懐かしさとあたたかさで胸がとけそう。
「そうよ、貴方はとっても素敵だから」

私はお酒が弱いのにジントニックを頼み、一気に飲んだ。直ぐに酔いがまわり、心地よくなる。
私達は会わない間に成人を迎え、幾らか大人になった気分だ。けれど意識せずとも、私は昔も今もずっと、彼に甘えてしまっている。人前で酔ったのなんて、今日がはじめてだ。あの時は、成人するまでお酒は我慢しようなんて話したっけ…。

彼は、私が好きでもないのに付き合っていたと思い、別れを告げていた

「…私ね、考えてみたんだけどあの時、ちゃんと愛してたんだと思う」
付き合ってた時は、気持ちが募って言えずにいた言葉が、お酒も入って、いとも簡単に出てくる。愛してた、なんて口にしたこともなかった。自分でもびっくりだ。
「…そっか。愛してくれてたんだね」
彼もぽつりと呟く。何という皮肉だろう。
話していく度にあの時のモヤモヤ、すれ違い、全てがやわく融けていって、心の隙間を埋めていく。全てが思い込みであり、すれ違いだった。彼は、私が好きでもないのに付き合っていたと思い、別れを告げたのだという。
私は大好きだったのに。

互いの酔いが覚めたのを待って、夜の銀座から東京駅まで散歩した。
東京の、乾いた夜。今日はお天気が味方してくれたみたい。
貴方と歩く、この時間が堪らなく愛おしい。
私達は心の隙間を埋めた。けれど、埋めてしまったのだ。
貴方との未練がすべて無くなったら、私たちは会う理由が、もう見つからない。

帰り道、テイクアウトした熱すぎるコーヒーを持ち、彼がふと呟く。
「…ねぇ、僕が振ってなかったらさえは僕と結婚してた?」
あぁ、この関係はなんて楽で、ズルいのだろう。
付き合っていた時に彼の口から一番、聞きたかった言葉。彼との関係で密かに憧れてたもの。
「…勿論だよ」
そう答えて胸が痛い。この言葉はきっと、彼も一番聞きたかった筈だ。
「そっか…」
私達は馬鹿だなぁ。今やっと、こうして本音を晒け出せるなんて。
けれど、貴方の胸の中で泣きたいってずっと思ってたんだよ、とは何故か言葉に出来なかった。

私は、彼の深いところに立つことを許されないような気がした

帰り道は、貴方の手をずっと繋いだ。
そんなことしちゃダメだよ、と彼に少し戸惑いながら言われたけれど、私は聞こえないふりをした。今日だけはこの手をどうしても離したくなかった。暫くして彼は微笑んだ。
…けれど、彼の深いところに私は立つことを許されないような気がした。
最後に、恋人を作れなかったら紹介し合おうね、と話した。彼も私も笑った。

終電際、また会おうね、と言った私に彼は上の空でひとつ、返事をした。
電車が動き出す。貴方の姿はもう見えない。
私達は同じ気持ちだった。それは確かめずとも分かっていた。
今日、私達は、私たちを振った。そして私達は、私たちに振られた。
貴方との想い出が回る。もう戻りたくないけど、二度と同じ気持ちになることもない。
後戻りは、してはならないとわかっている。