おととしの夏、12kg痩せた。
「モテたいから痩せた」なんて嘘だ。本当は、何も食べられない日が続いて、ただ体重が落ちていって、気づいたらそうなっていた。
試着室で久しぶりに「自分の姿」を見て、醜く感じて吐き気がした
ずっと痩せたかった。幼い頃は身長が高く、ガリガリに痩せていて、常に「大人っぽいね」と言われてきた。でも、中学校に入学したあたりから、だんだん太り始めた。所謂“女性らしい体型”になってきたのだ。
だから、しょうがないのだと諦めていた。身長は変わらずデカいので、「デブ」と言われない程度の体重を維持してきた。そんな自分を、好きにはなれなかった。
社会人になって、さらに太った。入社した会社では、残業してばかりで休日もほとんどなかった。出張も多かったし、体調を崩してもゆっくり休むことができなかった。月経が半年止まったこともあった。
一番ひどかったのは頭痛で、ほとんど毎日、わたしの脳みそを小人がトンカチで叩いているようだった。もともと整った顔立ちでないのに、さらに醜くなった。
もう、自分が嫌いだった。鏡を見るのが辛くて、自室の姿見はタオルケットを掛けて隠していた。その会社は、1年で辞めた。
ある日、洋服を買うために試着室に入った。鏡に映る、下着姿の自分。まじまじと見るのは、久しぶりだった。
吐き気がした。あまりにも醜い自分の姿に、言葉も出なかった。太っているだけじゃない。自分自身のすべてを醜く感じた。洋服なんて、買う気になれなかった。
その日から、何も食べたくなくなった。朝はもともと食べないし、お昼は喫煙所でウィダーインゼリー。当時は実家暮らしだったから、母親が夜ごはんを作ってくれていて、心配を掛けないようにといつもどおり食べて、夜中に吐いていた。決して、吐きたいわけではなかった。
かろうじてお酒は飲めたが、いっしょに食べるのは少量のつまみだけ。そんな日が1ヶ月ほど続き、気づいたら体重が12kgも落ちていた。痩せたというと聞こえがいいが、“醜い人が痩せこけただけ”だった。
逃げている自分が悔しくて、悲しかった。だから自分を見つめ直した
どうしてそんなに痩せたのかと毎日のように聞かれ、返事が面倒くさくて「モテたいから」と答えることにしていた。「醜い自分の姿を見て、何も食べられなくなった」と言うわけにはいかない。
でも、そうやってふざけて笑っている自分が、なんだか悔しくて、悲しかった。逃げているだけだということは、自分が一番分かっていた。
我慢できなくなり、職場で泣き出してしまったわたしを、同僚のお姉さんが優しく抱きしめてくれた。「うすっぺらいね~」って笑われて、気持ちが楽になり、わたしも笑った。
「その笑顔だよ」と言われて、やっと気づいた。ずっと痩せたかった。せっかくなら「痩せたね」じゃなくて、「綺麗になったね」と言われたいじゃないか。
それから、自分を見つめ直した。持っていた洋服が身体に合わなくなっていて、ウエストは安全ピンで留めたりなんかしていた。せっかく“うすっぺら”になったのだから、綺麗な洋服を着てみたいと思った。すべての洋服を新しく買い替えたら、なんだか楽しくなって、表情まで明るくなった。
手と足が大きいのはコンプレックスだけど、身長が高くて脚も長いじゃないか。もともとなかった胸はさらになくなったが、自分のサイズにあった可愛い下着を身に付けたら、小さな胸も愛しく思えた。
恥ずかしげもなく、YouTubeを見て、メイクやヘアアレンジも練習したり、思い切って一人で居酒屋に行ってみたりもした。仕事に一生懸命な人、夢を追いかける人、昨日振られた人、明日プロポーズする人、いろんな人と出会った。
醜い自分に気付いたとき一度は拒否したけど、全力で受け入れた
なんでも悪い方向に考えてしまうのが、わたしの悪い癖。考え方を直すことは難しいけど、違う考えの人の意見を聞くことで、新しい選択肢がもらえた。
外見だけでなく、自分自身の考え方や心の在り方が変わっていくのが分かった。「綺麗になったね」と言われるようになったかは、あんまり覚えていない。でも、気付いたら、鏡の前でくるくる回っている自分がいた。
わたしは、今の自分が好きだ。醜い自分に気付いたとき、一度は拒否した。
でも、もう一度、全力で受け入れた。そして、ちゃんと綺麗にしてあげられた。自分を大切に思い、可愛がってあげられるわたしは、もう醜くなんかない。