私、いま抱かれる準備をしている。お風呂場でムダ毛の処理しながら、ふとそう思い至って、なんとも苦い気持ちになったのを覚えている。

初めての恋でもないくせに、お泊りデート前日にはりきって、身綺麗になんかしちゃったりして。夜に期待なんかしちゃったりして。こんなにも浮かれてソワソワした自分が、年甲斐もなくて、一人で勝手に恥ずかしくなった。

派遣社員の彼はお酒を飲むと、必ず過去の女の子の話をする奴だった

「婚約者がいるんです」。派遣社員として来た彼は、自己紹介でそう言った。頭も顔も良い、経験値高めのワイルド系年上男子。趣味がきっかけで話すようになった彼とは、自然と仕事以外でもおしゃべりする時間が長くなっていった。

その中で分かったのは、包容力がある優しい人だということ。そして、何よりお話上手。だから、二人でお酒を飲みに行くのにも、そう時間はかからなかった。そこで私はもう一つ、彼について知ることになる。

なんとコイツ、お酒を飲むと、必ず過去の女の子たちの話をするのだ。一晩だけの子、今でも関係が続いている子、そして元カノ’sのこと。まるで武勇伝のように、悪びれもなく語るから、私は「わるい奴」と笑いながら、その話を聞いてあげるだけ…のはずだった。

その後、二人飲みをする度に、なぜか彼が距離をじりじり詰めてくる。ふと触れた手をそのままに、窺うように小指を絡めてきたり、去り際に「じゃあね」と頬に唇を寄せたり、挙句の果てには熱を帯びた目で「好き」なんて言ってきたりして。きっと、これがコイツの常套手段。分かっちゃいるのに、ハマっていた。あー、我ながら、ちょろ過ぎる。

「小旅行にいこう」と誘われたのは、彼の派遣期間満了日が近づいてきたある日のこと。そして、冒頭に戻るわけである。結局、夜を共にしたのはそれきりだったけど、彼が職場からいなくなった後でも、恋人ごっこは続いた。毎晩電話越しに囁かれる「あいしてる」なんかにまんまと浮かされて。

彼にとって私は、お酒の席で語る「武勇伝のひとつ」でしかないのかも

その日、LINEの既読はつかないまま一日が終わった。寝ている以外ではずっとやり取りをしていたのに、なんの前触れもなく急に、である。頻繁に更新されるSNSも無言。時間が経てば経つほどに怖くなり、事件や事故に巻き込まれてないか、彼の地元のニュースを数分おきに調べた。

そして、音信不通から数日後、「親戚の集まりがあったけん」と何事もないように送られてきた一文。これが、終わりのきっかけだった。

無事でよかったという安堵よりも、ここ数日間、絶えず自分の立場を思い知らされているような気がして辛かった。布団の中で、声をあげて泣いた。理解した。家族でも恋人でもない私には、彼の身に何かが起こったとき、彼以外からそれを確認する術をもっていないということ。

そして、もし逆の立場になっても、彼はこんな気持ちになんかならなくて、お酒の席で語る武勇伝がひとつ完結した、というそれだけなのだということを。

いや、そもそも、婚約者がいるという大前提すら忘れていたのだから、私の方が大概「わるい奴」ではあるけれど。結局私には、割り切ってこの関係に甘んじることも、誰を傷つけてでも、彼の全部を手に入れようという覚悟もなかったのだ。

そう思い至ると同時に、ふと終わりを感じられた。あの日から彼とは、連絡をとっていない。

「いい人だけどわるい男だね」の言葉が、君の罪悪感を刺してくれたら

……っていう数年前のことを、先日友人たちとリモート飲みをした際に話題にあがった。これって、自分が周りの友達の立場なら「やめとけ!」って確実に止めるけど、当事者視点で考えると、それはもう自分で決着つけるしかないんだよね、と苦笑いしながら。

そう、私もいい酒の肴として、君のことを話しているわけだ。お互い様だから、私のことを話すときは、どうか面白おかしく話してほしい。

そして、私を思い出すときに、繰り返し言ってやった「いい人だけど、わるい男だね」の言葉が、君の罪悪感をチクリと刺してくれれば、今はなき、あの時の私は報われるかもしれないね。