共感から、人は寄り合う。

私たちもそうだった。
それは、何気ない仕草や、目を引く容姿、ちょっとした会話から、あ、この人面白い、と興味を持った。
会話を重ねると、共感が増えた。この人は同族だ、仲良くなれる、そう確信した。
友達の少ない私は、異性ではあるが、強烈に面白くて私と似たこの人とお友達になれたらとても楽しいだろうな、と漠然と思った。

恋人のように寄り添って歩いた。沢山デートを重ね、体を重ねた

私から名前を聞き、私から連絡先を聞き、私から食事に誘った。1ヶ月ほどは何もなかったけれど、更に会話を重ねると相手も興味を持ち出した。

初めて一緒に食事をした時、おはようとでも言うがごとく、結婚してますよ!と言われた。お腹からお尻にかけて冷たいものが走った。その段階で、私は異性として期待していたのだ。恋ができるのではないかと。だけど、既婚者であり、しかも結婚して間もないことを知った。10年ほど付き合っている彼女と結婚をして、まだ彼女という意識が抜けない。彼女は寒いところが苦手だから、あなたと寒いところに旅行に行きたい。

そうして終電を逃し、彼が眠いから寝たいというのでホテルに行った。ベッドの中で、あなたになら抱かれてもいいと言ったら、そのまま抱かれた。

恋人のように寄り添って歩いた。沢山デートを重ねた。お揃いのものを贈り合いましょうかと言われて嬉しくなった。休みの日はずっと僕に下さいと言われ、特定の曜日は毎週会った。その度に抱きたいと言われ、長時間いられるホテルを探してきて、そこに缶詰して体を重ねた。
新しい刺激、今までにないSEX、お風呂で交わす知的な会話、百貨店で2人で選んだスイーツを一緒につついて、ロング缶を煽った。

彼には既に彼だけの太陽がいた。焼かれ続けることを選んだと言った

それから一年もたたないうちに、あなたの女性らしさが好きになれないと言われた。女性らしさを嫌悪しているので、頻繁に会えなくて寂しいとか、SEXもしたいと言われるのは嫌だと。人間としてはとても気に入っているけれど、女性としては好きになれないと。

事あるごとに彼にはこうも言われていた。相手に意見を求める時、自分はこう思うけど、あなたはどう思う?という聞き方でないと失礼だと思うし、俺はそういう話の仕方が好きだ、と。私はそうしていたつもりだったけれど、より慎重に、自分の意見や過去の話を私なりに彼に伝え、どう思う?と問うことが増えていた。だが、それは彼の期待するものではなかったそうだ。

むしろ、私は自己中で、話すことは愚痴で、そんな事は大事な人だと思うなら話さないことだ、と言われ、益々混乱した。私は努力していたつもりだった。だけど、伝わらなかった。意図したようには全く伝わっていなかった。

異性として俺に求めることが多すぎる、と言われた。私は大事にされているという実感が欲しかった。言葉でも態度でもなんでも良い、私に対して執着しているとか、好きなんだなぁと思っていたかった。けれどそれは、彼には必要のない事だった。彼には既に彼だけの太陽がいた。焼かれ続けることを選んだのだと言った。嫁は太陽なのだ、と。

その頃になると、SEXの時間も回数も減り、下さいと言われていた曜日にも確実に会うことは無くなった。

フラれるんだと思って、一日中眠れない日があった。

コロナ禍に突入して、毎日彼にメールする以外は、彼からの電話もたわいの無いメールも無かった。

一度だけ、会いたいと思いますか?とメールをしたら、すぐに、思うよ、とメールが来て、嬉しくなってしまった自分がいた。

家族として、より強固に互いを必要としているのがわかった

2ヶ月ぶり会った彼は、毎日メールが来てたから、久々に会った気がしないと言った。
けれど、何かが変わっていた。
誘われることはめっきり減った。
私に興味を失った事がありありと分かった。

ある日、俺ではあなたは変わらない、力になれない、と言われた。彼の望む私ではなかったそうだ。そして、唐突に、妻に惚れなおしました、と。
世の中が疲弊ムードにあっても、夫婦は明るく楽しく健康だった。
嫁は、コロナ禍で仕事がなくとも、ボランティアに近い自分にできることを考えて実行し、たくさんの知識をインプットし、緊急事態宣言が明けてからはアウトプット、個展を2回も開き、目覚ましい活躍をしていた。
互いに寄り添い、心から信頼関係を結び、家族としてより強固に互いを必要としているのがわかった。

私は常に1人だった。
世のため人のためには生きられなかった。
何をするにも彼と彼女のことが頭を離れず、鬱々とした日々を送った。
自分がご機嫌になることをしよう考えようと努力した。努力はしたのだ。だか、全て徒労に終わった。何も生まず、何も得なかった。

そして、フラれた。

もう考えなくていいんだ。
もう愛されないことを、好かれないことを悩む必要も無いんだ。
彼が欲しいと言った曜日に予定を入れて、気ままにどこにでも行けるんだ。
なんでもできるんだ。
そう思うと、とても自由だ!と叫びそうになった。
自ら、囚われていたとは言え、これほど私はがんじがらめになっていたのだ、と実感した。

幻想に恋をして、幻想の人間を好きになり、幻想のままフラれたのだ

共感から恋が始まった。
だが、好きの形も表現の仕方も違いすぎて、埋めようのない価値観の違いという溝にまんまとハマってしまっていた。

今も、思い出しても胸が締め付けられるのは、分かり合えないこと、理解できないこと、共感できないこと、自分の努力ではどうにもならないこと、そこに諦めの悪い自分がいること。

互いに幻想に恋をして、幻想の人間を好きになり、幻想のままにフラれたのだ。
頭で理解できても、心がついていかない。

本音を言い、対等に話し、美味しいものを一緒に食べて、私らしく彼らしくリラックスして、互いに正直に生きていられると思った。

だけど違う、違うのだ。

何も変わらず、何も得ず、何も生まない、関係に名前すら付かない関係。
それが私たちだった。