3月8日、日本の『国際女性デー』は、女性の生き方を考える日なのだそう。女性に限定されると申し訳なくなるな…。でも、私は女だからとりあえず今日は、私(女)のモノサシでお話させてください。よろしくお願いします。
「女は黙ってろ」と言う私の父ちゃんと、森元会長の姿がリンクした
少し前、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森元会長の「女は話が長い」という発言が世間を賑わせた。おお、これぞステレオタイプの典型ぞ! 攻撃してくださいと言わんばかりぞ…? ほら、心配したそばからネットが荒れまくっている。ネット民の攻撃力、強すぎない…? 性差別と環境の世界に身を置く人達は、この状況をどう思っていたのだろう。
私は一連の流れを見ていて苦しかった。普段から「女は黙ってろ」とのたまう私の父ちゃんと、森元会長の姿がリンクしてしまった。女性を鼓舞する風潮がある社会で、自分で人生を切り開けている女性が増えてきた社会で、わが家の家父長制はまだ生きている。
母ちゃんは私が10歳のとき夜逃げしちゃったし、父ちゃんは明日着る服も自分で選べない困った野郎だし。私に託された父ちゃんを、さあ、どうやって調理したものかね。
今回の『かがみよかがみ』の企画では、“私が〇〇を変えるなら”ということなんだけれど。そうだな…では、「私がステレオタイプの父ちゃんを変えるなら(実践編)!」にしてみたいと思う。
人を変えるって難しいことだから、きれいごとでは救いがないように思えた。だから今回は、私が10代の頃から実際にやってきて効果的だったこと、これからも継続していきたいことについて触れてみる。
私は何度もストライキをして、父ちゃんと「話し合い」を繰り返した
頑固一徹オヤジはどうしたら変わるのか。嫁に逃げられても変わらなかった父ちゃんレベル高いわ。でも、やるしかない。私が藁人形を闇サイトで買う前に。
今でこそおちゃらけているが、振り返れば昔の私はノイローゼ気味だった。眠れない夜が何年も続いたある日、父ちゃんに「夕飯のおかずこれだけ?」と言われて、そんな些細な一言に、プツンと何かが切れて家出を決行した。ストライキである。
中学生が行ける場所は限られていた。一時的な避難先として母ちゃんの実家を選び、1週間とりいそぎメンタル療養。ストライキの目的は争いや拒絶ではなく、まず話し合いの席に座ってもらうことだ。
行動とは裏腹に相手に近づくための手段である。あの頃の私はちょっと冴えていた。一対一では弾圧される気がして、家に帰るときは親戚のおばちゃんに同行してもらった。
私、父ちゃん、間におばちゃんを挟んで、日頃の不満をなるべく冷静に伝えようとした。鼻水と涙でベタベタの顔で、嗚咽ばかりが溢れた。おばちゃんがいなければ、父ちゃんからビンタの一つも頂戴していただろう。
しかし、その日から父ちゃんは少しずつ寛容になっていった。ご飯を炊くこともできない父ちゃんは、私がいなくなると相当困るようだった。私はその後も何度かストライキを決行し、その都度父ちゃんに脅し(?)をかけ、自分の環境をバリアフリーにしようと試みた。
話し合いで交渉術を磨くことは、「自分らしく」生きるための盾になる
結果として、父ちゃんの本質は変わらなかったかもしれなかった。今でも横暴だし、家主として君臨している…。けれど話し合うことでお互いのことを知り合えた。男だから弱音を吐けない苦しみが、父ちゃんの話し方から透けて見えたし、そう思ったら、私のやるせなさも多少癒された。父ちゃんも理不尽な暴言を吐いた後は、やべえ…と危機感をおぼえるようで、不器用ながら私の機嫌をうかがってくる。
私のやり方は強引かもしれないが、メリットがあるとき、苦境に立たされたとき、人は変わるのではないだろうか。もちろん例外も多々ある。一般的なご家庭の家族問題、あるいは外での人間関係だって、お互いに譲れない部分を相手と話し合うことは大切で、希望を通すための柔軟な交渉術を身につけることは、自分らしく生きるための盾になると思っている。
全て解決できなくても、話し合うこと自体には意味があった。ここに至るまでの道中、沢山の人に助けてもらった。
女性が1人で立ち向かうことが難しい問題は、世の中にまだ沢山ある。男性を差別しているわけじゃない。文化や社会構造的に、女性の方が不利になっている部分を、みんなで建設的に話し合えたらいいのに。
それが簡単じゃないことは、森元会長の件でも実証されているからこれはきれいごと。せめて私は、手の届く範囲にいる父ちゃんと、これからも陣取りゲームのような話し合いを重ねて、家庭の風通しを良くしていきたい。