私は、いつか自分に娘や息子ができたら、なるべく言わないで育てたい言葉がある。
「お姉ちゃんだから」「お兄ちゃんだから」。
しっかりさせようとしてあまり考えずに言ってしまいそうだが、その後何年も、下手したら生涯に渡って子供を縛ってしまうかもしれないから。
「お姉ちゃんだから」、怒られるのも我慢するのも、いつも私だった
私自身、23歳になってやっと自分がずっとその言葉に支配され続けていたことに気づいた。正しくは、「お姉ちゃんだから」という言葉そのものよりも、そう言われるであろうから自分のわがままは通らないんだ、言っちゃいけないんだという意識。
私には2歳年下の妹がいる。あまり年が離れていないから、物心ついたときには既に妹がいた。幼少期から私が大学に入って家を出るまでは同じ家で暮らしていたし、特に小学生時代は文字通りずっと一緒だった。登下校も、放課後遊ぶのも、習い事も。
幼稚園~小学校卒業くらいまでの間、私は妹のことが大っ嫌いだった。理由は、ざっくり言ってしまえば妹と一緒にいると自分が不利益を被ることが多かったからだ。
例えば、一緒に遊びに行っていて帰宅時間を過ぎてしまったとき、怒られるのはいつも私。母は私たち2人に対して説教を始めるのだが、妹はいつもそのタイミングでうまいこと逃げていたのだ。私までそうするわけにいかずひとりで一通り怒られるわけなのだが、しれっと戻ってきた妹に対しては「○○(妹)もわかった?」の一言で終了してしまう。
もっと嫌だったのは、母が私たちに色違い、柄違いの服や小物などを買ってきてくれた時だ。母はいつも「色違いだから、仲良く決めてね」と言って私たちにそれを渡した。
これで欲しいものが被った場合にどうなるのかは、読んでくださっている方にもなんとなく予想はつくと思う。運よく好みが割れればそれでよいのだが、だいたい選ぶものは同じだった。じゃんけんで決めても何をしても、結局「仲良く」「公平に」とはいかない。これで喧嘩が勃発しようもんなら、「もう買ってこないよ」と言われる。この状況で、姉である私が折れる以外の選択肢があるのだろうか。
妹も母も大切な存在。だけど、私は本当に望むものを言えなくなった
そんなことがずっと続き、私は自分が本当に望むものをなかなか言えなくなってしまった。周りを困らせないか、迷惑でないか、はたまた嫌な思いをさせないかどうかを基準にしてしまうようになったのだ。
大人になった今でもそれはあまり変わらない。自分がじゃんけんで勝って1番に選ぶ権利があったとしても、人気のあるものはあえて避けてしまうのだ。幼少期の記憶が蘇ってくるなどということはないのだが、潜在意識がそうさせてしまうまでになった。
妹や母に対してマイナスの感情があるわけではない。お互いに社会人になった妹とは友達同士のように仲良くなり、私が帰省するたびに遊んでいる。母とも関係はよいし、ここまで育ててくれたこと、支えてくれたことに対してとても感謝している。
ただ、私が自分の希望をしっかり表現することができなくなった要因であることは否めない。母だって悪気があったわけではないだろう。同じものではつまらないから、選ぶ楽しみを与えようとしてくれたのかもしれない。母は2人姉妹の妹だから、私と同じような我慢はしてこなかったのかもしれない。
私の望みを大事にできるのは、私しかいない。まだまだ先は長いけど
こうして気づくことはできたものの、すぐに変えることもできない。あまり我慢している意識もないので日常生活で害はないのだが、重要な場面で自分の気持ちを優先させることができなかったらとても悲しいし、後悔してしまうかもしれない。
私の望むことを大事にしてやれるのは、私しかいないんだ。
この間のお正月。成人した娘2人にも、母は色違いのパジャマを買ってくれていた。
「色違いだから、2人で決めて」。
妹は自分の欲しい色を言い、私はまた何も言わずに欲しい方を妹に譲った。
まだまだ、先は長い。