近年の急速な社会の情報化によって、私たちは、いつでも、どこでも、好きな情報を好きな時に手に入れることができるようになった。その恩恵はほとんどすべての人が受けているだろう。

携帯、パソコンなどの電子機器は一切禁止。私は情報社会から離れてみることにした

昨年から大きな国際問題となっているコロナウイルスの情報もインターネットで手に入れることができるし、緊急事態宣言下で外出が難しくなって、オンラインショッピングを利用した人も多いのではないだろうか。
そして、会社はテレワークが基本となり、もはやパソコンやスマートフォン、つまり情報は、私たちの生活になくてはならないものとなった。しかし、私はその便利な情報社会から離れてみることにした。

そのきっかけは精神科病院への入院だった。
病棟に携帯は持ち込めない。もちろんパソコンなどの電子機器は一切禁止だった。かろうじて病棟内のホール(食堂)には共用のテレビがあった。情報を得るものはそのテレビだけだった。

入院した最初の頃はつらかった。今までいかにインターネットに時間を費やしていたかを思い知らされた。

どれだけインターネットに頼ってきたのか。人とのつながりが希薄になってしまっていた

しかし、日が経つにつれて環境に慣れてくると。入院患者さんたちとおしゃべりを楽しんだり、ぼーっとテレビを見たりするようになった。特に、同じ患者さんたちとの会話はとても楽しい時間だった。看護師さんから最近のニュースや社会の出来事を聞くことも多くなっていった。

会話の内容はテレビの感想や、その日の天気についてなど、たわいのないことなのだが、人のぬくもりや温かさを感じたのだ。おしゃべりをしながらトランプなどのカードゲームをして、その中で人と人との交流が生まれる。当たり前のことなのだが、人とのつながりを実感する時間だった。
携帯がないので、LINEやメールで気軽に連絡を取ることもできない。連絡を取る手段は、手紙か、ホールに置かれた公衆電話だ。

私は小学生のとき文通をしている友達がいたが、ここ数年しばらく手紙を書いていなかった。だから、手紙を書くというのは、新鮮なことでありながら、一方でなつかしさも感じた。手紙の相手は主に家族だったが、ときどき大学の先生ともやり取りをした。先生からの手紙は、私がいない間に大学で起こっていることや世間のニュース、そして私を励まし元気づけてくれるようなものだった。手紙はメールのようにすぐに相手に届くものではない。確かに不便ではあるが、それがまた面白く感じた。その面白さに惹かれて幼いころの私は文通をしていたのだ。初心忘るべからずとはこういうことなのかもしれない。

手紙のやり取りやカードゲームを通じて、それまで忘れかけていた人とのつながりを再確認することができた。それと同時に、今まで自分がインターネットや文明の力にどれだけ頼ってきたのかを思い知らされた。現代の便利な世の中でいかに人とのつながりが希薄になってしまっているのかが分かった。

情報から離れたら「したい」がたくさん出てきた。時には手紙を送り人の温かさを感じたい

私は今まで現代の最新の技術の恩恵にあやかってきた。LINEやSNS、スマートフォンやパソコン。今では外出先ではフリーWi-Fiが当たり前となっているこの時代に、一定のデジタルデトックス(一定期間、インターネットなどの情報媒体から離れること)は必要なことなのではないだろうか。

私は今回の入院によってある意味強制的に情報のない環境に身を置いたわけであるが、これからは積極的にインターネットから離れてみようと思う。なぜなら、情報社会からはなれることでしか見えない人とのつながりや、今まで当たり前だったことへのありがたみが分かるからだ。

私はこれからもひと対ひとのつながりを大切にしたい。人間らしい生活を送るためにも、情報の自己規制をしつつ生活したい。時には手紙を送り、人の温かさを感じたい。
今回の入院で情報から離れたら「したい」がたくさん出てきた。この思いを大切に、そして忘れずに生活していこうと思う。