「25、6にもなって彼女の一人や二人いないなんておかしいから」
初めて恋人ができたという兄の知らせを耳にした母はこう言い放った。
人生で一度も恋をしたことがない私にとって、その言葉は数か月経った今でも私の心の一番脆いところに深く刺さっている。
私っておかしい?絶対に誰かのことを好きにならなくちゃいけないの?
我が家は典型的な家父長制かつ機能不全家族だった。父に耐えかねた母が私と兄を連れて家を出て離婚裁判をしたのは、もう十年以上前のこと。
恋愛や他者に関して価値観が拗れたのはこの時からだった。考えても仕方ないことだけれど、こんなことが無ければ私はこんなにも卑屈にはならなかったのかも。まだ21年しか生きてないけど、人生で一番辛い時期だったと未だに思う。
親が離婚して分かったことはひとつ。誰もが誰かの個人的な部分を突き回して好きなように消費している。苗字が変わったことや親の離婚を同級生にからかわれたことがあった。だから繊細で未熟な私は、周囲の人間全員がいつも敵に見えた。
誰にも興味がわかなくて恋なんてしなかったし、中学高校は趣味や部活、学業に打ち込んだ。全て私が好きで楽しいからやっていたことだった。私は私のために生きるのだ。利己的万歳。
でも母に冒頭の言葉を放たれた瞬間の私は打ちのめされた。一番近くにいた人に私の生き方を否定されたと感じた。私っておかしいの?絶対に誰かのことを好きにならなくてはいけないの?そんな問いが浮かぶ。いつかは稼いで一人で生きていけるような未来だって描いていたのに。
そのときは即座に「お母さんがジャッジすることじゃない」と母に反論したが、結局理解してもらえず喧嘩してしまった。
価値観が違う人なんていくらでもいる。だから無理に理解しなくていい
もしあの時の私に会えるなら、相手にしないでと言いたい。
理解できない人、理解してくれない人なんてこれからの人生で沢山出会う。家族であろうと価値観が異なる人と過ごして辛いなら距離を置いてもいい。これはお互いのためでもある。
異なる価値観を前に「私はそうではありません」と意思表示したっていいんじゃないかな。
でも「だから理解してほしい」なんていうのは土台無理な話。だって誰もがそれぞれの人生を歩んで価値観を作り上げてきたのだから。諦めなんかじゃない。身を引くと言って。
私を形作る過去の出来事と完全に決別することなんて出来ないかもしれない。だって愛とは何か、誰かを好きになるってどういうことかとまだ答えが出ないままだ。
誰に何を言われても、ブレない私でいたいから。この人生は私のものだ
母の言葉を思い出すたびに刺さったところがちくちくして痛くなる。
信頼しているからこそ否定された時の苦しさは大きい。母にそんなつもりはないだろうけど。私がこうだと思っていたものが、途端に不安になって揺らぐ。
結局のところ、自分に自信がないから誰かに指摘されると簡単に駄目になってしまうのだと思う。
だから私は誰に何と言われようとブレない私でいられるようになりたい。私が何を信じて何を選択してどう生きていくか、その意思決定に誰かが入り込む余地なんて二度と与えたくない。
よく人生は舞台に例えられる。私もそれに倣うなら、主人公は私で脚本も監督も私。座席に座る観客は自分で選ぶ。勝手に覗き見なんてさせない。
この人生は余すところなく、私のものだ。