「爆弾投下したの、誰だー!」と笑いながら、劇団主宰の男性が、生理用ナプキンを飲み会の席のテーブルに叩き付けた。
私がうっかりポケットから落としたものである。やらかしたとは思った。しかし、拾う方が目立つと思ったし、誰かが見つけても見逃してくれると思った。仕方がないので「すみませーん。私ですぅ」とおどけて申し出たところ、劇団主宰は黙ってしまった。
もっといじっても大丈夫な、精神的に図太くて気心しれた女性の犯行だと思ったらしい。仮にやらかしたのが、そういう女性だったとしたら。二の句をどう告ごうとしていたのだろうか。
この出来事を思い出すと、いかに生理が中途半端な扱いを受けているかを思わずにはいられない。
まず、生物学的視点から考えてみたところについて述べたい。生理というのは、放尿や排便といった排泄行為となんら変わらないのではないか。いつ始まるかわからないにも関わらず、1週間くらい経血がダダ漏れになるので、一瞬で終わる排泄行為と同列に扱うのもどうかと思うが、体内機能の捉らえ方としては間違っていないと思う。
となると、先ほど起こった飲み会での生理イジリは、“教室で漏らした人をからかう小学生”と同じ次元ではないだろうか。
飛躍した印象を受けるだろうが、ナプキンというアイテムをネタにしているだけで、本質的にはあまり変わらない気がする。やらかした個人の尊厳など二の次で、一般的に汚いといわれていることで楽しもうという下種な考えとそう変わらない。
いい大人が何をしているのだろうか。コロナで娯楽産業が衰退なんていわれているが、結構ガキくさい価値観が蔓延っている世界でもあるので、これを気に淘汰されるのは大賛成である。
「生理」を馬鹿にするやつに、セックスする権利も子作り権利もない!
次に、女性的視点で考えてみる。そもそも生理自体が子孫を残すための機能の一部として、存在しているのである。子宮などの女性器も然りである。なんなら現状の人間の形として、女性器がないと男はセックスもできなれば、子作りもできないわけだ。
セックスの快楽を貪るように楽しむ男性たちが、そのセックスに不可欠な女性器にまつわる現象を馬鹿にするとはどういう了見だろうか。「子どもが欲しい」とか言いながら、基本的に身体的な苦労を請け負う必要がない人たちが、何を言っているのかなとも思う。
そもそも私は、そんなくだらない男共のために人生の貴重な時間を使いたくないので、セックスも子どもも不必要だし邪魔だと考えている。そうなると毎月の生理は、ただただ体調不良を誘発する面倒なものでしかない。
さらにいわせてもらえば、生理を馬鹿にするやつにセックスする権利も、子作り権利もないだろうよ。というか、セックスの快楽と子孫繁栄の機会を提供してくれる女性器と、女性の体を不衛生に痛めつけるクズ共は、生物として世界から滅びるべきだと思う。ていうか、世界のために本気で滅びろ。
生きるための生理機能が、イジリやタブーの対象になってはならない
熱くなってしまったが、生理イジリが非常に理不尽、かつ非合理的ものであるとの考えはわかっていただけと思う。
生理イジリもそうだが、生理の話題がタブー視される感覚自体が、同じような理由で疑問である。生命維持のために必要な機能が、イジリやタブーの対象であっていいのだろうか。そういった価値観や無理解が、滅ぶべきクズ共を量産する一助になっているのではないかとも考えるのである。
なぜ、女性も男性も“生理は恥ずかしいものだ”と、考えているのかがわからない。小学生のときに保健体育で習ったにも拘らず、男子の前で生理の話題をすると女子たちが嫌がるのかが、今でも全く理解できないのだ。むしろ保健体育で習ったところで、男子たちには生理という現象そのものは、気丈の空論でしかないことのほうが理解できる。
おそらく女子の嫌悪感は、歴史的偏見から生まれた価値観によるものが強い非科学的なものだろうし、クズ共の衛生観念がガバガバなのは、生理が生み出す不衛生な状況を経験したことがないからという気はしている。
生理イジリの根幹は、そういったことにあると思う。さっさと性教育のギャップを早急に埋めていくべきだろう。でないと、滅びるべきクズ共が蔓延るばかりで、健全で文化的な生命の発展は有り得ないと思う。