私は誕生日を迎えて、一つ年齢を重ねた。メッセージやLINEギフトを送ってくれる友達もいて、一つ一つがとても嬉しかった。
嬉しかったけど、誕生日を迎え、年齢という数字が一つ増えることにプレッシャーを感じてしまう。それはその数字に見合うだけの努力だとか、成長だとかができていなんじゃないかって思うから。
17歳の頃に抱いた自分の理想像と、今の私の現実のギャップが苦しい
私が一番頑張っていたのは、大学受験のために勉強をしていた高校3年の17歳の頃。その頃は、1日12時間勉強をするのは苦ではなかった。むしろ知識が増えて、問題がサクサク解けるようになる感覚がゲームみたいで楽しかった。
今考えると、無茶なほど長時間にわたる勉強を、当たり前のようにしていた。17歳の頃の私は、漠然といくつになっても今と同じだけの負荷を自分にかけて、勉強し続けるのだと理想を抱いていた。私は無事志望校に合格し、時を同じくして、私は18歳になった。
そして、いくつかの歳を重ねて今に至るのだが、17歳の頃に抱いた自分の理想像と、今の私の現実のギャップが苦しい。
別に頑張っていないわけではない。大学の成績だって悪くはない。新しいアルバイトに挑戦して、任せてもらえる仕事も増えた。
ただ、17歳の私が、今の年齢の私に期待していたほどの成長は、できていない気がしてならない。今の自分に自信がないから、いつまで"若い”という理由で、許されるのだろうかなんて不毛なことを考えてしまう。
17歳の私が期待していた私は、現実離れした神様みたいなものかも
今年の誕生日の数日後、誕生祝いで久しぶりに家族とちょっといい焼き肉店に行った。「ちょっと過ぎちゃったけど…誕生日おめでとう」という父の声に合わせて、ビールで乾杯をした。タン塩を焼きながら「中身が変わらないまま歳だけ取っている気がする」と私はこぼした。
そしたら、父は「たしかになぁ、多分ずっと変わらないと思うよ。若い時なんか、今のお父さんと同じ年齢の人は神様みたいに見えてたけど、実際そんなことないしな。結局は人間なんだし」と言った。
なるほど。17歳の私が期待していた私は、現実離れした神様みたいなものかもしれない。1日12時間も勉強し続けることは、受験生という特殊な時期だからできたことだ。何年も続けることは、私にはできない。できる人がいたら、まるで神様のような人だと思うだろう。朝起きたくない日も、家でダラダラする日もあったって何も可笑しくない。人間なんだから。
今の自分を受け入れ、実現できるくらいの理想に一歩ずつ進むこと
17歳に想像した理想を追うことは、自分で自分を呪縛するだけだ。17歳の理想は放り投げてしまおう。
だからといって、歳を重ねるプレッシャーはすぐには変わらない。それにそのプレッシャーは、成長志向があることの証明にも思えるから、完全に手放したくはない。
私がすべきことは、まずは今の自分を受け入れること。そして、実現できるくらいのちょうどいい塩梅の理想を掲げて、それに一歩ずつ進むこと。
素敵な女性になるためには、どんな理想がいいだろうか。一年後には自信をもって「成長したね」と自分を褒めてあげられるようになっていたい。