私が通っていたのは、地元の公立中学校だった。中学校はとても荒れていて、生徒同士の殴り合いや先生と生徒の言い争いは日常茶飯事だった。正しいことをすると、周りからは冷たい目で見られていた。正しいことを「正しい」と言えない学校だった。
そんな環境であっても、私は間違ったことをするのが嫌だった。周りと同じように校則をちょっと違反したり、学校のきまりを破ったり。そんなことはできなかった。
荒れた学校に「私の中の正義」が騒ぎ立て、学校に行かなくなった
中学2年生の秋、担任の先生が内地留学(長期の研修)のために不在になり、代わりの先生が来た。その先生は新任の先生で、やる気に満ち溢れていた。しかし、そこからクラスはますます荒れた。
私の中の正義が「この学校はおかしい」と騒ぎ立てた。そして、私は学校に行かなくなった。学校に行っても、ろくに授業も受けられない。そんな毎日に、意味を見出せなくなってしまったのだ。
周囲に合わせて行動することは、私には合わなかった。幸い塾に通っていたので、勉強の遅れで困るということはなかった。むしろ、家にいる時間は集中して勉強ができたので、学習ははかどった。もともと頭は悪いほうではなかったが、学校に行かなくなってもテストの順位や模試の成績は変わらなかった。
中学3年生になっても、学校に行かない日々は続いた。しかし、それまでと違ったのは、制服を着て、学校に行く用意をするということだ。そこまでしたのに、学校に足が向かない。たしかに学校は嫌いな場所だったが、単に“行きたくない”のではなく、“行けない”状態へと変わってしまっていた。
先生は何度も家に来てくれたり、電話をしてくれたり。親とはたくさん衝突し、結果的には「給食費がもったいない」と言われ、給食を食べに行くような日々になっていた。それでも勉強は欠かさず、高校受験は見事成功した。第一志望の学校に合格した。
無事に高校へ進学し、「新しい生活」に胸を躍らせていたが…
中学を卒業して、私は地元では有数の県立の進学校に入学した。「あんな無法地帯の学校から解放される」そう喜んだ。そして、新しい生活に胸を躍らせていた。
入学したうちはよかった。しかし、6月ごろからまた学校に“行けない”生活が始まってしまった。この生活は、行きたい自分とそれができない自分との葛藤がとてもつらい。幸いにも、完全に行かなくなるということはなく、心優しい先生方の援助もあって、無事3年間で単位を取り切り、卒業することができた。
学校に行けていない間は、“自分とは何か”をよく考えていた。周りのみんなは、学校に行き、友達と楽しく過ごしたり、行事に参加したりしていることが“普通”にできているのに、どうして私にはできないのだろう。“普通”って何だろう。私は“普通”ではないのか? 様々なことを考えた。
学校へ行かないことは決して悪ではなく、自分と向き合うことができる
私は今、4年制の大学に通っている。大学でも学校に行けなくなる時期はあるが、それまでのように自分を追い詰めたりはしなくなった。それは、自分はこのままでいいのだと肯定することができるようになったからだ。
学校に行けない自分は、決して劣っているわけではなく、学校という枠組みに当てはまらなかっただけなのだ。そう考えると、私にとっての“普通”は、むしろ学校へ行かないことであり、自由気ままに自分のペースで何かをすることではないのだろうか。
学校に行かないことを褒められたことではないし、できることなら行ったほうがいいと私も思う。しかし、決して悪いことではなく、自分を見つめなおすきっかけにもなりうることなのだ。
これから先、社会の中でも周りに合わせることが、要求される場面もあるだろう。しかし、私は私のままで、自然体でいられる場所を見つけたい。なぜなら、それが“私”そのものだからだ。