人と同じように「普通」になれたことで、私が失くしたもの

もう20年以上昔のことだけど、小学生の頃の話。
私は周りのみんなと足並みを揃えられない、鈍臭い子供だった。(今も鈍臭いが。)
それを自覚していたので、「マイペースだね」と言われるのが悲しかった。
「マイペース」じゃなくてみんなと同じペースになりたいのに、なれない。
みんなと同じ「普通」のことが出来ない。
私は「普通以下」の人間だ。と思っていた。
今思い返すと子供時代をそんなに悲観的に過ごしていたことを勿体無くも思うけど、
何をそんなに「普通以下」だと感じていたのか。
まず、やたらと忘れ物が多かった。物忘れではなくて忘れ物。
学校で「明日の持ち物」を連絡帳に記入するはずなのに、何故か持って行くのを忘れる。
「忘れてもいいや」と思っていた訳ではない。
忘れるくせに臆病者だから、忘れる度にシドロモドロになっていた。
冬休み明けに登校したら、冬休みの宿題をやっていなかったことに気付いたり。
学校で交通安全教室が開かれる日に自転車を持って行くのを忘れたり。
血の気が引く思いだった。
もう一つは、時間の概念を理解出来なかった。
毎日の授業の時間割に沿った行動はできるけど、宿泊研修のようなイレギュラーなタイムスケジュールが理解出来なかった。
宿泊研修では食事やお風呂の時間がチーム別や個人別に決められていたけど私にはよく分からなくて、毎年変な時間にお風呂に入っていた。
そして、自分の世界に入り込んだり空想に耽ったりしやすかった。
小学校一年生の頃、給食の時間に、右目に手を当てた時と左目に手を当てた時で、見えているご飯の位置が変わることに気付いた。それが面白くて目に手を当てながらご飯を食べていたら「目痛いの?」と周りの子に声を掛けられて、我に返った。
授業中は先生の顔をしっかり見ていたが、先生の話は聞いていなかった。
休み時間は一人で絵を描いているだけで楽しかった。
別にヤバい奴という程ではない(と信じたい)けど、なんだか「普通」ではないな、という自己評価だった。
私も普通になりたい。そんな劣等感を抱いていた。
そんな「普通以下」の私も年齢を重ねていく中で、部活、受験、アルバイト、就職などを人並みに経験していった。
要領を得るのに時間がかかることもあった。
その都度「普通」に擬態するように、自分なりにもがいてきた。
そうしていくうちに、いつしか私は「普通」になった。
何がどう普通なのかと言うと、それなりに周りの人と歩調を合わせることが出来るようになった。
たぶん、周りの人からも普通の人だと思ってもらえていると思う。たぶんだけど。
でも、「普通」と引き換えに失ったものもある。
子供の頃は想像で絵を描いたり、自分で物語を考えて漫画を描いたりするのが好きだったのに、今はそれが出来なくなった。
今の私には、目に見えているものを描き写そうとすることしか出来ない。
あと、ひらめきも無くなった。新しいアイデアも出せなくなったし、クイズも苦手になった。
「普通以下」だと思っていた自分は、普通のことは出来なかったけど、何か別の力を持っていたかもしれない。
自分としては、やっと大人になれた、と思っている。25年くらいかけて。
「普通以下」だと思っていたあの頃は、まだ子供だった。
あの頃の私は、子供にしか見えない世界を生きていた。
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