子どものころ、私の母と父は料理のことでしょっちゅう揉めていた。例えばポテトサラダに辛子を入れるか、たまごは入れるか、ポテトはどの程度マッシュするか。味噌汁の具が硬い、皿の盛り付け方が悪い…。そんなことをいつも話しており、母が作った料理は酷評された。「女ならば料理くらい上手く作れないといけない」と祖母は教訓のように私に言った。
私は母が可哀想に思えたけれど、事実母の料理をおいしく思えないときもあって、複雑な気持ちだった。両親の間に流れる不穏な空気に辟易しながら、炒め物のかたい野菜を無理やり食べたりすることが何度あったか分からない。
「どこにでもある家庭の味の違いによる夫婦喧嘩」なのかもしれないけれど、私の家の場合は、それだけでは丸くおさまらなかった。
やがて母は食事を作らなくなり、食事の時間も別になった。分かりやすく、絵に描いたような「一家団欒」の光景は静かに崩れ去り、やがて父は自分で料理をするようになった。
私は大学生になり1人暮らしをはじめ、自分で気ままに料理を作り始めた。母が作るカレーやチーズケーキ、父が焼く餃子が好きだったことを、時々ひとりで思い出した。
だから、私は結婚や「夫婦生活」に理想も希望も抱けないことが多く、しかし同時に心のどこかではかすかに憧れやひとつかみの希望があることも事実だった。
彼氏と一緒のごはんは楽しいはずなのに…
初めて彼氏ができて、一緒に料理をしてごはんを食べたとき、結婚なんて全く考えるような関係ではなかったけれど、一緒にごはんが食べられるのがすごく嬉しかった。同時に、「きっと食事のことでカルチャーショックがあるんだろうな」という不安もないまぜになっていた。
彼と一緒に鍋を作ったことがあった。野菜は何を入れるか、どんな風に切るか、はたまた、食べ終わったあとの片付け方はどうするか、みたいなことで、少し揉めた。それらはすごく些細なことだったけれど、それぞれの家庭環境を映し出すリトマス紙みたいだと思った。
私は彼のやり方に対して、たぶん無意識のうちに、「この人と結婚したら…」というシミュレーションを頭の中でしてしまっていることに気付いた。結婚なんて考える関係ではないと思っていたのに、無意識に「適切な結婚相手」を品定めしている気がして、それがすごく恐ろしいと思った。
私は等身大の相手のことをちゃんと受け入れられているのか?適切な条件の誰かが欲しくて相手を値踏みしているだけではないのか?という不安に駆られた。
私たちは、他のことでもぎくしゃくして、それから間もなくして別れた。別れてしばらくは何を食べても味がせず、失恋の悲しさや喪失感というのがこの世に本当に存在するのだと知った。
別れてからも、連絡を取るときは「あのとき作った鍋は美味しかったね」と時々彼は懐かしそうに言った。私も同じ気持ちだった。楽しいとか嬉しいとかの気持ちを共有できる思い出があることに安堵するとともに、寂しさで胸が溢れた。関係性を続けられなかったことが悲しかった。
安心して心から食事を誰かと楽しむことを、あきらめたくない
誰かと生きることは、誰かとともに食事をするということであり、時々面倒で飽き飽きすることもあるような日常を重ねていくことだ。
誰かと生きる未来は、今のところ全然思い描けていない。けれど、自分が育った家庭のように役割に縛られたり、思いやりあえないけれども制度に縛られて形だけの家族を維持していくような、しんどいことはしたくないと思っている。
もしも、誰かと食卓を共にする毎日がこの先訪れるとするのならば、一緒に、あるいはお互いに分担をして料理をしたり、楽しみ、思いやりあいながら、食卓を囲みたい。ありきたりな夢かもしれない。けれど、安心して心から食事を誰かと楽しむことを、私はあきらめたくない。