周りから強くすすめられ見た映画は、感動したけど涙は出なかった

私は、鬼滅の刃をみて泣くことができなかった。
昨年、「鬼滅の刃」は社会現象にもなるほど大ブームになった。もちろん、私のアルバイト先でもそれはそれは人気で、「チョー泣けた。」「みたほうがいいよ!!」と、いわゆるキメハラなるものを毎日受けていた私は、まずは漫画を借り、全て読み終えてからその日のうちに映画館へ足を運んだ。
とても面白い。そして感動する。しかし、涙は出なかった。
席を一つ開けて隣に座っていた見知らぬご家族が号泣しているのが、鼻をすする音でわかった。私も、面白かった余韻を感じながら帰路についた。そこでふと「なんで涙が出ないのだろう。」と思った。
次の日、アルバイト先でその話をすると「鬼滅みて泣かない人なんているんだwww」や「感情のない人だね。」と言われてしまった。その場では「そうなんですよ~」と笑って返したが、それが1日、いや1週間たってもずっと心に引っかかる。何気ないことだし傷ついているわけでもないが、私はもしかして人より感情がない人間なのかもしれない、と思ってしまった。このようなことは過去にも何度かある。

涙を流さなかったことが原因で、“感情のない人"認定

中学生の時に、宿泊合宿でスキーに行った日のことである。
みなそれぞれレベル分けされたグループでスキーを楽しんだ後、夜ご飯の時間に先生方からお手紙が渡された。親からのサプライズの手紙だった。私のクラスの女子は、その手紙を読んで私以外全員泣いた。むしろ一人だけ泣いていない私は、「感動しないの?」「心ないね…」と言われた。
ショックだった。もちろん感動したし、お母さんへの感謝の気持ちでいっぱいになったのは私も同じなのに、涙を流さなかったことが原因で、“感情のない人"認定されてしまったのだ。
人は見かけで判断されてしまう。大会で負けて悔し涙を流していて偉い。卒業式で泣きながら返事をしていて感情豊かだな。
そんなバカな。私はそのようなことで泣いたことは一度もないが、一生懸命練習したのに負けたら悔しいし、今まで仲良かった人と離れるのは悲しい。人並みの感情はきちんとあるのだが、ただ涙が出ないだけなのだ。
そんな私でも、実は一人でいる時は涙もろい。毎朝新聞を読んで、世の中の理不尽な出来事や人の温かさを感じる記事を
読むと涙が出ているし、ラブストーリーをみて泣くこともしばしばある。周りに人がいるかいないかで、涙をコントロールすることができるらしい。

“自分が思っている自分”と、“周りからみた私”の大きな隔たり

私は一人が好きだ。趣味もサウナ、読書、サイクリング、旅行など、全て一人で楽しんでいる。しかし私は自分でいうのもなんだが、友達が多そうに見える性格みたいだ。「毎日遊んでいて人生楽しそう。」「いつも明るくてポジティブだよね。」よく言われる。
実際の私はそんなこと全然ないのに…。
確かに私は、誰かと一緒にいると明るく陽気な人になる。しかし、一人でいるときは暗く、いつも何かを考えている。いったい私は、明るい人なのか、暗い人なのか、自分で自分が一番わからない。

“自分が思っている自分”と、“周りからみた私”の大きな隔たりにモヤモヤする。でも、どんな自分でも私は私。私は結局、そんなよく分からない自分が大好きなのだ。