「バカだと思ってたけど、頭いいんだね!」
これは私に対する最大の褒め言葉だ。

なぜだかわからないけれど、昔から私は頭があまり良くないと周囲から見られていた。
でも私は勉強が割と好きで、小学校のテストはいつも満点だった。親から勉強しなさいと言われたことは今まで一度もなかった。

「頭が悪そうで実は頭がいい」という、イメージのギャップが好物

小学校1年生の通知表には、「授業中に次の時間の授業の予習をしないよう」と書かれていて、お母さんから驚かれたこともあった。中学校の時には320人ほどいる中で学年3位まで登り詰めたこともあったし、通知表オール5は学年に2人だけだと校長先生から直々に褒められたこともある。その際も、担任の先生からは「お前、頭よかったんだな」と言われ、三者面談中にお母さんを苦笑いさせた。

そもそも頭が悪そうというイメージがついた理由もよくわからない。そこそこ教室では目立つ方ではあったし、授業中でもよく発言をした。英語の授業は、みんな恥ずかしがって声を潜めていたもんだから、担当の先生と一対一の対話になってしまった。

でも私はこのイメージが何より好物だった。
見せ方と見られ方に歪みが生じる時が1番の快感とも言えた。
小さいながらその味を占めた私はそれ以降、ずっと爪を隠してきたのだ。
無理にバカを演じていたわけではない。ただ、勉強ができるというステータスをひた隠しにすることで、ギャップを生み続けてきたのだ。
元から秀才オーラをダダ漏れにしている人ではまるで体感できない、柔道で言うと「一本」を決めたような感覚だ。柔道はやったことないけれど。

「能ある鷹は爪を隠す」が大勢いる中、私は「能ない雀は深爪」状態に

ただ、それは中学までの話。
高校に入ると、私の人生における三大緊急事態が発生した。
本当に見せ方と見られ方が似通ってきたのだ。
つまり、頭が良さそうに見えないを装う=頭が良さそうに見えないの方程式が出来上がり、実際本当に頭が良くなかったのだ。
そもそも同じ頭の中身をした学生を一つの箱に集めているのだから、抜きん出ることが難しいのは当たり前ではあるのだけれど。でも油断していた。周りには、私の理想とする「能ある鷹は爪を隠す」奴らがそこらじゅうにいたのだ。スカート短め、茶髪に染めたギャルな感じのあの子も、ズボンを腰あたりまでおろしたあの人も。

それからというものの、私は未だに自分の見せ方がよくわからないでいる。もう、脳ない雀は深爪状態。隠す爪もない。模索中といえば聞こえはいいが、とにかく路頭に迷いすぎで就活の時はかなり苦労した。
見せ方がわからないということは、自分を売りに出せない。PRができない。
やっと受かった会社は、入りたかったというより入れた会社で、うまく馴染めなかった。そんなこんなでやっぱり見せ方を確立することは、私を人生にとって最重要課題なのかもしれない。見せ方、見られ方、見せている自分と、見られている自分。周りはそこまで自分を見ていないかもしれないけど。

鏡でポーズを決めたら、見せ方が見えてくればいいのに。
私の人生少しハードモードです。

そんな感じで私は今日も生きてます。