わたしは、本日の相棒となる鎧を念入りに準備している。
ありきたりな誰かにはなりたくない。その日なりたい自分になるために、自分を支えてくれる服とメイクを選ぶのだ。
思ってもいないところを見られていたりするから、服装も気は抜けない
今日は、大事なミーティングがある。仕事ができそうに見えて、ラインがきれいな紺のジャケット。メイクはブラウンで上品にまとめた。よし、気合十分、戦にいざ行かん。
今夜はちょっと気になる人に会える。柔らかなシルク素材のブラウス。すこしチャイナ服っぽいデザインがお気に入り。透明感を演出したいから、淡いパープルのチークを入れて。ふんわりした服を着て、たおやかな女性として彼に接したい。
みんなは思っているより、わたしのことを見ていない。だけど、思ってもいないところを見られていたりする。気は抜けない。
物心ついた頃から、周囲からの評価は安定していた。意外としっかり者で、おしゃれが好きで、人と話すことが得意。その評価はほんとうのわたしを見て、下したものなのか。その点はひっかかるけれど。
服装の好みは年々変わっていく。だけど、その瞬間ごとに着たい服は確かにあった。
小学生の頃、わたしはいつもクラスメイトの推薦で学級委員長をしていた。その頃のわたしはクラスの中では背も高く、銀縁の眼鏡をかけていた。学級委員長に選ばれると、自然とシャツとチノパンの組み合わせが増えた。
服装だけではないと思うけれど、賢そうな少年のような服装は、先生たちの信頼度を増していたと思う。ひたすらに褒められる可能性を上げたかった。小学生ながらに、先生に何かを評価してもらう日は、頭が良さそうに見えるかどうかが服選びのポイントだった。
でも、ほんとうのわたしはそうじゃない。だけど、ほんとうのわたしを出したところで、どこに需要があるんだろう。
服で武装することは、わたしの中では「心の武装」と同意義なんだ
ほんとうは花柄が好きで、ガーリーな服が着たかった。中学生の頃は、LIZ LISAに憧れていた時期もあったっけ。でも、もしその服を着ているときに、作文で悪い評価をもらったら。好きな子にばかにされたら?
服と悪い出来事が決して直結していなかったとしても、すぐに考えられうる原因の欠片を、つぶせなかった自分を恨む気がする。本来の自分を見せても問題ないと、甘い判断を下した自分を責める気がする。
服は簡単に着替えることはできても、気持ちは簡単には着替えることはできない。服で武装することは、わたしの中では心の武装と同意義。武装せずとも人と向き合えるなんて、よっぽど自分に自信がない限り、無理な話だと思っていた。
でも、この考えが当たり前だと思う大人になるうちに、なんだか窮屈な気もした。自分の個性を、自分でつぶしているような。今日何を着たいのかより、今日どう見られたいのかを優先していた。
わたしの考えに変化が起きたのは、大学2年生のとき。普段の自分の服装とはまるで違う系統のワンピースを着て、気分転換に白のアイラインを引いて、借りていたDVDを返しに行った。学校から遠いからと油断していた。
わたしはその服が好きだったけれど、まだ大学に着ていく勇気はなかった。どう見られるのか怖かった。なのに、棚を曲がった瞬間、不運にもゼミの尊敬している先輩に鉢合わせた。「あ。え、みちるって分かんなかった、雰囲気全然違うねー」。
心臓がどきどきしすぎて痛かった。「ですよね、自分でもそう思います」と苦笑い。次の瞬間、先輩が発した言葉にわたしは拍子抜けした。
「そっちも好き。というか、いつもも好き。色々似合うんだね。じゃ、またね」。
さっきとは違う心臓の動きを感じた。胸がじーんとした、ほんとうに嬉しかった(先輩は美しい女性です。でも、女性に褒められたほうが嬉しいことってあるよね)。
どう見られるのかにこだわり、自分の見せ方を極める自分も悪くはない
ほんとうは、いつでも自分を飾らずとも勝負できる自分でいたい。その日の予定に関係なく、自分の“着たい”だけを理由にして服を選べる人は、なんだか心が強くて、自由な気がする。
でも最近になって、見せ方を計算してしまうわたしも、愛しく思えてくる瞬間がある。それもまた、柔軟性があるといえるのではないだろうか。目の前にいる誰かの気を引きたくて、褒めてくれそうな服を選ぶことは、至極当然。世の中の物差しを察して演出できるのは、きっと長所だ。
上手く見せることに長けたら、嘘ばっかりの自分のようで、ほんとうの自分は消える気がしていたけど、正解は一つじゃない。いつか鎧を脱げる日はくるのかな。見せ方にこだわらず、ありのままに。
すぐには難しいだろう。けれど、鎧を脱げる日がくるまで、自分の見せ方を極めるわたしも悪くはない。自分の見せ方を使い分けできる女性こそ、一番柔軟で、自由な女性。将来なりたいわたしの姿だ。
美しく見せることを極めるわたし、美しく見せることにこだわらないわたし。これからも、いろんなわたしと生きていきたい。