常に起こりうる危険を考え、どんな時も確認することをやめられない

外出時に鍵をかけ、その後にちゃんと閉まっているか何度もドアをガチャガチャする。
コンタクトレンズを外し、ケースに入れたときにちゃんと補水液に溜まっているか何度も水面に触れて確認する。
寝るときに窓が開かないように2重ロックをしているのにも関わらず、何度も確認する。
猫が洗面所、お風呂場に入ってイタズラしないようにドアを閉めるが、寝る前に心配になって寝室から携帯のライトで照らして閉まっているのを確認する。
普段必要なものを入れている場所にブランケットを掛けて猫がイタズラしないようにカバーする。
車から降りた時は、車検証を持っていかれないように何度も車の鍵を開けたり閉めたりする。
延長コードのコンセントを抜いて、その先端が壁などに当たって火事が起きるのではないかと心配して何も当たらない所に置く。

他にも無意識のうちに危険を危惧して行っていることが多いと思う。

自分が様々な心配をしていることはもしかしたら何も起こらないのかもしれない。けれど、何をしてでもやらないと気が済まないのだ。

子供のようにかわいい愛猫だからこそ、些細なことで心配に

以前、好きな配信者のYouTubeで、猫がお風呂場の水が入っていた湯船に浮かんでいたというショッキングな事件が発生したという配信を観た。
私はそれを見て余計に自分が家にいない間、飼っている猫に何かが起きて死んでしまったら…と元々あった心配を越えて更に心配するようになった。

外出先から帰ってきて、玄関のドアを開け、猫がお迎えの鳴き声を聞くと、張り詰めていた気持ちが瞬時に解き放たれ、力が抜けるように、ほっとする。
少しでも鳴き声が遅れたら逆に瞬時に不安が襲ってくる。部屋のドアを開けると眠そうな顔をしていて、熟睡していただけかと安心する。愛猫は、子供のいない自分にとって本当の子供の様な存在だ。

テレビを観ていても、いつもの場所に姿がないと不安になり彼氏に、りん(猫の名前)どこ行った?と聞くと、彼が指差した先の洗面所へ入るドアの所で寝ているか、こちらをじっと見つめている。
そこにいない場合は名前を呼ぶ。反応しない場合は狭い部屋の中を捜索。見つけ、ここにいたの?と声をかける。当の猫本人は、突然現れた飼い主を見て、びっくりしたような、キョトンとしたような、マヌケで可愛らしいすっとぼけの顔をする。

心配を重ねて大切な誰かを守れるなら、これはこれでいいのかも

私の心配性は度を超えているのかもしれない。だが、どんなに小さな命でも、何度も何度も何かを重ねたことで救える命もある。
この世の中で懸命に生きているたくさんの命。みんなの心配は些細なことでも大切な誰かの命を救っている。

極度の心配性が私に教えてくれたこと。
猫だけではなく、色んなものをたくさん心配して救える命がある。自分の心配が誰かに届くなら、いくらでも心配したっていい。いくらでも最悪な状況を回避できるなら、この先も心配性でいいんじゃない?