先人たちが実現してきた「男女平等」の恩恵を受けた私は、女性軽視な発言に物申す

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森元会長の発言への問題意識が広がっている。女性がたくさん入っている会議は時間がかかるとか、女性の発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困るなどというものだ。
この発言が、“問題発言”として抗議するツイートをたくさん見た。ドイツやフィンランドなどの大使館が「#dontbesilent(沈黙しないで)」「#genderequality(男女平等)」といったハッシュタグをつけた投稿をアップしていた。
それらを目にして私が抱いた感想に、自分でも驚いた。そっか、怒っていいんだ。
私が2歳の時(1999年)、男女共同参画社会基本法が成立している。私自身、両親が共働きの家庭で育ち、大学受験のための浪人も、大学進学のための上京も応援してもらい、フェミニズムについて学ぶ機会があった。
今後は、フルタイムで総合職として働くことになっていて、結婚や出産を経ても働き続けるという未来をパートナーと共通認識として持っている。
つまり何が言いたいかというと、私は先人たちが実現してきた男女平等の恩恵を、幸運にも授かることができた方だと思う。と同時に、フェミニズムを学ぶことで、日本社会に未だ根深く男女差別の意識や制度が存在すること。
そして、社会を変えていく必要性もはっきりと認識していた。自分のことをフェミニストだと思っていた。
そんな私が、森元会長の発言への抗議を目にして「そっか、怒っていいんだ」と感じた。その気持ちの裏を探ってみたら、「そんなことを言う人っていっぱいいるし、もう仕方ない」という諦めがあった。
さらに、“自分は話がまとまらない。論理的に話せるようになりたい”というコンプレックスを持っていて、“論理的に話せる”ロールモデルはなんとなく男性ばかりだった。
私はフェミニストだと自認していたにも関わらず。男女差別のある社会を変えていかなければならないと感じていたにも関わらず。
思い返せば、幼い頃に触れた漫画やドラマでは、主人公の女の子はちょっとバカで、ちょっと抜けてて、賢くて頼りになる男の子が助けてくれた。女の子で成績がいいキャラクターは、協調性がなかったり、性格が暗かったりした。
そういうものに触れることで、「女の子はちょっとバカだから、男の子に助けてもらわなきゃいけない」って無意識のうちに、本当に無意識のうちに思っていたのかもしれない。つまり、私の心の中にも森元会長的な思想が潜んでいたのだ。
だから現実世界で同級生の男の子と話していると、自分の方が論理的でないような気がして、口をつぐんでしまう。相手の意見に批判的な考えを思いついても、性格が悪いと思われそうで言えなかったりする。何かを言うのが恥ずかしくなって、焦って、ごにょごにょしてしまう。
結果として、私は、森元会長が言ったような、話がまとまらない女性だった。少なくとも自分ではそう思っていた。
だからこそ、森元会長の発言への抗議の声は、私を勇気付けた。女性だからって、論理的思考力に欠けていたりしない。女性だからって、話すことを制限される筋合いはない。
誰であっても、自分の声をあげることは尊重される。
「I won’t be silent. 私は男女平等を支持します」
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