世間では巨乳=女性としての魅力に溢れてる。きっとそんな認識が強いだろう。

しかし、友人で貧乳だと悩んでいる子たちは非常にモテる、私が5年間恋人が出来ず、失恋ばかりしてる間も常に恋人がいる。そんな子に「巨乳で羨ましいなぁ…」なんて言われると「そっちこそいつも恋人がいて羨ましいなぁ…」と、つい意地悪を言ってしまう。

そういえば、偏差値の高い男性は貧乳を好むという研究結果があるらしい、確かに私の周りにいるいわゆる“インテリ系”の男性に、胸の大きさについて言われたことはないかもなぁ…なんて妙に納得してしまった。

初体験の時、恥ずかしさと緊張でいっぱいの私に彼が最初に放った言葉

確かに、私は“巨乳で美乳”だ。作品撮影やデッサンの為の“アートモデル”という仕事をしているのだが、満足のいく仕事をした時は我ながら美しいなぁと思う事も。

しかし、脚が平均より短かったり、側湾症であったりで、全体的に見ればモデルとして決して恵まれた体型ではなく、ポーズや魅せ方の研究、食事に運動に美容と努力の日々だ。全ては自分の為であり、モテる為ではない。

私に初めて恋人が出来たのは、19の頃、女子校育ちの私にとって自分に対して恋愛感情を持っている男性というのは、本当に未知の存在だった。小学校の時の同級生、浮気をして母を繰り返し悲しませる父、電車で触ってくる痴漢、学校の先生、今まで私の周りにいた“男性”は、それくらいしかいなかったのだから…。

相手は、平凡に大学の2つ先輩。貧乳が好きだと言っていて、付き合った当初は彼の好みに沿わず残念だなぁと思いつつも、そこまで気にしていなかったと思う。

しかし、忘れもしない、彼との初体験。(肉体としての)大人の女性への第一歩、恥ずかしさと緊張でいっぱいの私に彼が最初に放った言葉が「大きいおっぱいって、思ったより硬いんだね…」だったのだ。

“私の胸って他の人より硬いんだ…”。恋愛経験も無く、人と胸の柔らかさなど比較したことの無い私にとって、それは衝撃的なセリフだった。おっぱいは柔らかいもの、その思い込みは持ち主である私自身にも根付いていたのだ。

それ以降、やたらと自分の胸が気になる様になり、彼や周りの人から胸について何か言われる度に、それが褒め言葉であっても過剰に反応し、傷付いてしまうという負のループに陥ってしまっていた。

貧乳が好きだと公言していたばかりに、胸の大きい私と付き合った事で、彼もかなり冷やかされていたのだろう(今思えば彼の自業自得なのだが…)。その頃から、服装への口出しが始まったことをよく覚えている。

何故日本には「見た目だけ」でジャッジしてしまう人が多いのだろう?

その彼とはやはり上手くいかず、3年ほどで別れる事となったが、その後も友人に「ずっと豊胸してると思ってた」と言われたり、大学内でも“豊胸疑惑の巨乳”と噂されてた事が判明したり…。とにかく皆から注目されるのは“胸”ばかり。何故、“私自身”を見てくれないのか? そんなに私は中身の無い人間なのか? コンプレックスとなってしまったこの胸を一度取る事まで考えたが、金銭的な余裕も術後のリスクを背負うほどの勇気も私には無かった。

そんな時、このままではダメだと。一度全てを曝け出し、自分を客観的に見たいと思い始めたのが“モデル”だった。デッサンにヌードにファッションに…と色んな事にがむしゃらに挑戦していった。その結果、私は自然と自信を取り戻す事ができた。モデルという仕事においての目標が明確になった時には、胸に対するコンプレックスも解消されていたのだ。その時気づいたのは、“自己愛”や“自己肯定”には、きっと自分の身体を受け入れる事がまず必要なのだという事。

テレビを観ながら親と話してて、女性に対する外見的、身体的なジャッジは頻繁に行われていると感じる。いわゆる、ジェンダーバイアスやルッキズムの問題になるのだが。
きっと、女性なら一度は違和感を感じた事があるはずだ。「何で女ってだけで他人にあれこれ言われなきゃいけないの?」って。

フランクに言ったら大丈夫、褒めてるんだから悪い気はしないだろ? みたいな感覚が何故か日本にはある。その上、自己愛をナルシズムの様な、否定的な捉え方をしている人も多い様に感じる。

身体の事を指摘された時「そうなんです!私、身体も顔も綺麗なんですよ~!」と自画自賛すると「え…!?」というびっくりした反応が返ってくるのだ。
(褒めてたつもりじゃねーのかよ…)なーんて心の中で思いつつ、そういう時は笑顔でやり過ごすしか無い。

体型やファッションについてもそうだ。「痩せた方が良い」「もっとぽっちゃりしてた方が男は好きだ」「鼻ピアスは良く無いよ」「タトゥーとかやめた方がいい」そんなのわざわざ本人に言う必要ない。

例えば、いきなり私が会ったばかりの相手に対して、ジロジロと股間を凝視して「立派なイチモツを持ってるねぇ!良いねぇ、好みだよ!」「もっと鍛えた方が私の好みだなぁ~」なんて言い出したらどう思うのだろうか?

男なんて単純だしアホだから! と言うけど、女だって一緒だ。なぜなら今言った言葉は、私の本音なのだから。私にだって、アホみたいな性癖やフェチがある。「筋肉質で身長が高くて大きなイチモツを持ってる人がいいなぁ~」なんて妄想をいつもしている。でも、私は知っている、そんな失礼な事を言ったところで、自分のプラスになんか1㎜もなりゃしないって事くらい。

何故、それが分からない人が多いのだろうか?何となく 許されてしまう空気が長らく日本に流れてるだけで、それは普通の事では無い。男女関係なく、一方的に相手の身体的特徴を性的な話に絡めて、話してはいけないのだ。

私達には必要なのは、自分を慈しみ、認め、愛する。それだけで良い

巨乳だろうが、貧乳だろうが、豊胸していようが、コンプレックスもファッションにしてもどんな自分でいたいのかという選択は、個人の自由であって、他人の好みで勝手にジャッジされ、口出される筋合いは無い!

こんな事を言いつつも、今でも笑って嫌な発言を受け流してしまう事は多い。本当ならばガツンと強めに言ってやりたいのに…つい場の空気に流され不満を溜め込んでしまう。

でも、それは結果的に自覚の無いままコンプレックスへと変わっていき、自尊心に傷を付け自分自身を見失わせてしまってる気がしてならない…。

私達日本人の無意識下における女性に対するハラスメントは、皆が想像する以上に傷が深く根深い。当事者である私達女性自身ですら、無自覚な部分も少なくはないはずだ。

“Self Love(セルフラブ)”こそが、今の私達には必要だ。何も難しいことはない、社会全体へ疑問の声を投げかけながら、自分を慈しみ、認め、愛する。たったそれだけで良いのだから。性別関係なく、皆が自分を愛し、自分自愛を認める事ができたなら、自分以外のことも大切に出来るだろうし、コンプレックスにあふれたこの卑屈な社会も変わりルッキズムやジェンダーバイアスも無くなっていくことだろう。

まずは自分を愛する事から始めよう。鏡の前でポーズを取り、何でもいいから声に出して自分を褒め称えてみる。気分が上がって無敵になった気さえするはずだ。是非、皆も騙されたと思って1度やってみて欲しい、きっとその日は自信があふれた素晴らしい1日になる事だろう。