自分らしさとか本当の自分とかはよく分からないけど、「本当はこうしたいのに」というような気持ちを抑えて生きていた。
全然面白くない話に乾いた笑いをする自分に嫌悪する。
そんなまいにちを送っていた前職では「真面目だね」と言われ、「その調子でがんばれ!」と言われ、いただいた手紙には「誠実な○○さん」と書かれていた。
他人にも自分にも嘘をついてる気分で居心地が悪かった。
イメージというものはどんどん定着するもので、わたしは演じ続けた。つまんないねって言われているようで、もどかしさを募らせながら、徐々に壊れていった。
光の見えない転職活動中、ある面接で自分のよくない部分を言い当てられた
ちなみに転職活動は悲惨だった。
かしこまった演技は得意なはずだったが、何度も何度もわたしのiPhoneにお祈りメールが届いた。
ある面接の話をします。
光の見えない転職活動に自暴自棄になりつつあったためか、今回もどうせ……、という気持ちだった。
だから出来た事かもしれないが、なにも怖がらず、偽らず、ただ自分のありのままのを伝えようと決意し臨んだ。
その面接はざっくばらんに今までの経緯とかその理由とかを深堀りする感じだった。
当のわたしは驚くように肩の荷が降りており、いい意味でも悪い意味でも堂々と話せていたと思う。
すると面接官が思いもよらない事を言い出した。
「ひょっとして我が強いタイプ...?」「B型?」「雰囲気は柔らかくていいんだけど芯が揺るがなそうね」
とあまりにもど直球に、雨後のタケノコのように、どちらかというと真面目とは真逆の、自分のよくない部分を言い当てられた。
正直に話し、伝えたいという気持ちが届いたのだろうか
今までの面接の多くは質問事項に沿って一問一答して、面接官は私の答えひとつひとつメモを取って。適度にわたしを褒めて。はい、じゃあ結果は一週間以内にって。そういうものじゃないっけ?
散々言われたくせに、この会社には縁があると直感した。
なぜなら戸惑いの後すぐに嬉しい感情が湧いたからだ。
面接官の言ってることはわたしに全部当てはまった。
そうだ、わたしは我が強くてマイペースで心の底に熱い気持ちがあるんだー!!と。
字面だけみると怖いが、面接官のまっすぐにわたしの話を聞く姿勢に、わたしは良い印象を持った。
そうしてあくる日採用を獲得した。
聞かれた質問に間違えず上手に答えられたわけではない。正直に話し、伝えたいという気持ちが届いたのだろうか。
他人から良くみられようとする意識をやめたことが、いい結果に繋がったと自己評価している。
急に人格を変えるのはやはり難しい。怖いし抵抗がある。出したい自分をさらけ出したら、嫌われてしまうんじゃないかなどと反応ばかりを気にしてしまって。
でも、どんなに取り繕っても、どんなにダメダメだと自分が思っても、人の目にどう映るかはわたしが考えることではない。その人の感性だ。
たとえ全員に通用しなくても、ありのままをいいと言ってくれる人が一人でもいるのだったら、自分が心地よく居られる自分でいるべきではないだろうか。
と、わたしは気付いた。
ありのままのわたしが発信したものが、感動を生みだせたら
そうしてその一件から私は運気が上がっている。
なんと何年も疎遠になってた友達3人から連絡が来た。
偶然だろうか。偶然でもいいか。
とにかくわたしは前を向き始め、これからの生活に微かな希望と期待を抱いている。それ自体が素晴らしいことだよね。
23年生きて、最近潜在的にあった夢に気付いた。
こどものころから引っ込み思案で、臆病だった。
ただ音楽がずっと側にあって、寄り添ってくれて。
音楽はわたしがわたしでいることを許されているような時間だった。
表現をしたい。
ありのままのわたしが発信したものがなるべく多くの人の心を動かし、感動を生みだし、わたしが生きた証がこの世界に残せればいいなとぼんやり思っている。
それは音楽という媒体でなのか、なんなのかは熱量のあるわたし、時にマイペースなわたしらしく、見つけていきたいと思う。