私がもし学校で何かを講演する機会を貰えるなら、夢を支える具体的な知識について教えてあげたい。学校で教わったことは無駄ではなかったけれど、それを学生時代に知っていたら、こんなコロナ禍でもいくぶんか生きやすかったかもしれないとときどき考えてしまう。
コロナで働くことができず、八方塞がりだった。「死」を初めて現実的に実感した
私はコロナの影響をもろに受け、一時期仕事を失った。とにかくお金に困った。
自分がこんなにお金に困ることを想定していなかったため、そのあたりの知識は皆無だった。ただ漠然と「本当に困ったら生活保護とやらを申請すればいい」くらいに考えていた。
でも、現実はそんなに甘くはなかった。
まず、新卒の内定取り消しを受けた際にもらえる補償金があると聞き、各所に電話したが、さまざまな理由で受理されなかった。会社を訴えるサポートも出来るが裁判はお金がかかると言われ、頭が真っ白になった。生活保護も実家がある場合は認められず、訳あって実家と距離を置きたい私は申請する事ができなかった。
当面の暮らしを確保する為のアルバイトも、普段ならあふれている日雇い募集が消え、説明会や面接に行っても緊急事態宣言が明けるまで延期や中止になるといった始末で働くことができず、八方塞がりだった。
今月中に生活費を工面する手段を見出せなければ、来月の家賃が払えず、家を出るしかない。家がなければ働くこともできない。私はそこで、「死」というものが現実的に迫っていることを初めて実感し、絶望感に胸が押しつぶされた。
私には夢があった。「楽観的な思考」と「思慮の浅さ」は別だったと分かった
私には夢があった。でも、こんなにも生活が揺れ動いていては、見られる夢も見られない。私はなんとか踏ん張って運よくいい出会いがあったため、生き延びる事ができた訳だが、奇跡のような出会いがなかったらと思うと今でもゾッとする。
こうした苦い経験は、全てがコロナのせいだとは私は思わない。
あの頃、「夢を叶える」という事を上辺だけで計画していた詰めの甘さが露見したのだと受
け止めている。夢を叶える為には、ただ頑張ればいいだけではない。頑張れる環境を整えることが不可欠だ。実家に頼らないなら尚更だった。
何があっても夢を叶えるという想像力と準備が足りなかった。もっと突き詰めて考えられていたら、今より状況は変わっていたかもしれない。
「楽観的な思考」と「思慮の浅さ」は別だった。今ならそれがよく分かる。
「人生、なんとかなるもんよ」と言う人がいる。実際、私もなんとかなってしまったし、否定できないが、それはあくまでなんとかなったからこそ発言できるのだとも思う。
だから私は楽観的に夢を叶えようとする人がいれば警告したい。
夢を叶えたいなら、生活や環境を死ぬ気で整えろと。
それこそが現実的な強さなのだと。それはきっと、社会に出る直前で伝えた方が響く。
思慮が浅いまま社会に出る人が減るように。生きるための知識を学校で教えて欲しい
学校は、卒業した後に生きていくために必要な知識を勉強する所だ。それならば、「あの手この手でちゃんと生きていける」という具体的な知識を得る機会があってもいいはずだ。
直接生活に関わる部分の税金や保障、保険、一人暮らしの生活費、いざという時に頼れるNPO団体の存在、電話番号、仕事のあらゆる探し方、災害や事故に巻き込まれた後の生活、奨学金や海外留学費用の工面の仕方…。パッと思い浮かぶだけでもこれだけ挙げられる。
世の中には沢山の救いの手があるのに、学校ではそれを教えてくれない。勉強も大切だが、こういった知識を学校で得られないものだろうか。
多くの学校で設けられる「職業体験」の機会を、かつての私のような楽観的な考えで取り組み、社会を知った気になっている学生は多い気がする。
私は、憧れの職業があるのであれば、敢えて「下」を見て行動する必要があると思う。上ばかり見て歩いても、足元をすくわれる。
足場があるから人は立っていられるということを、きっと人生で何一つ取りこぼす事なく、道をズレる事もなく、正しい人生を送ってきたであろう先生が生徒に伝えるのは難しいかもしれない(と言うと言い方に刺がある)が、叶うのならば、私のように思慮が浅いまま社会に出て夢だなんだと語る人間が一人でも減ることを願っている。