“なくて七癖”という言葉がある。誰しも多かれ少なかれ癖を持っている、そういう意味である。
私は癖が多い。七つでは足りないくらいに……歯ぎしりをする・がに股・執拗な瞬き・脚を組む・指パッチン……上げれば切りがない。どれも見苦しく、非常にみっともないものばかりだ。
私は無意識のうちに爪や髪、皮を嚙んでしまう「癖」がある
その中でも、特に改善しなければと思いながら、なかなか直らない癖があった。爪や髪に歯を立て、顎を上下に動かす……噛み癖である。非常に汚く、臭いもする。見た目もよくない。
爪、髪、皮……特にイライラしているとき、無意識のうちに身体を嚙んでしまう。そのせいで、私の爪はガタガタだ。爪を見ればどれも変なカーブを描いていて、深爪は当たり前。ネイルをしても、爪の形が歪なせいで、仕上がりは微妙。爪の周りの皮も噛むせいで、指全体がボロボロしている。同様に噛むせいで髪も枝毛が目立ち、酷いときは顔まわりの髪だけ他の部分と比べて極端に短かった。
視界の端に、汚い爪、ぼそぼそになった髪が入る度、憂鬱な気分になった。直そうと思っても、結局いつも直らない。その繰り返しだった。一生私はこの癖と付き合っていくのか、そう思っていた。
しかし、状況が変わった。こんなことではいけないと一念発起したのは、つい最近のことだ。久しぶりに会った友人が、垢抜けていたのである。彼女は中学校以来の友人で、私と同じ美術部に所属していた。私たちはセーラー服の真っ白なスカーフに絵の具がつこうが気にせず、ただ趣味に生きていた。
友人は大人の女性になっていたのに、私はずっと足踏みしていたんだ
1年ぶりに会った彼女はどうだ。私と同じように爪の間に絵の具が入り込んでいた爪先は綺麗に整えられ、ボサボサだった髪は先端まで艶々としていた。もちろん枝毛なんてものはない。そこには立派な大人の女性がいた。
私とは違う、堂々とした女性だ。何が彼女を変えたのだろう。20歳を過ぎ、成人としての自覚が出たのか、就職を前にしたからなのか。彼女と並んで歩きながら、私は惨めな気分になった。店員が話しかけてくる回数が違う。態度が、視線が…被害妄想かもしれない。けれど、一度気にしたら悪い方に思考は行ってしまう。
そうしているうちに、同年代くらいの人たちがターゲットである店に入った。そこにいる客は、隣にいる彼女と同じように全身隙が無い。爪も綺麗に伸ばされ、髪には天使の輪っかが浮かんでいる。
そこで私はわかった。彼女が変わったわけではない。私が変わらなさすぎたのだと。私は砂と埃にまみれたリノリウムの床に座り込んで絵を描いていた頃から、ずっと立ち上がれていないのである。
彼女はちゃんと椅子に座り、大人になっていった。ただそれだけの違いである。“それだけの違い”だけで、こうにも嫌な気分になるのか。
私は自分の「噛み癖」を直すため、気をつけて生活するようになった
それから、私は噛み癖に気をつけるようになった。幸い今はマスク生活だ。外にいる間は、噛もうと思ってもマスクのせいで噛むことができない。家にいる間は、髪の毛が重くても髪を結ぶようにし、口元に髪の毛が行かないようにした。爪に関しては気合いだ。そして、爪の美容液を塗る。口に入れたときの、がじがじとした食感とえぐみが私の意識を呼び戻し、慌てて指を口から引っこ抜く。それの繰り返しである。
爪や髪が生えるのは時間がかかるのに、噛むのは一瞬。一週間の努力が、コンマ以下の時間で泡になる。そのたびに私はあのとき、彼女と一緒にいたときのような情けない気分になる。どうして、他の人が当たり前にできていることができないのだろう。
そのたび、私は「諦めたらそこで試合終了」と、有名な漫画の一節を引用して、自らを叱咤激励してきた。そのお陰か、前よりは爪の面積が大きくなった様な気がする。髪の毛は相変わらず枝毛が多いけれど、口元の毛だけやたら短いということは回避されている。
“なくて七癖”というくらいだから、噛み癖をなくしても、また新たな癖が出てくるか、私が気付かないような癖があるだろう。しかし、自らが気付いている癖は直したいものである。私が綺麗な爪や、髪を手に入れる日ももうすぐそこだ。