「髪は女の命。」
この言葉を最初に耳にしたのは、おそらく幼少期。
家族写真を撮ると、真っ先に自分の写りの良し悪しを確認するほどに「人から良く見られる」ことへの執着心が強い、父方の祖母が言っていたような気がする。

祖母は、年齢を重ねてもなお、黒々とした豊かな髪が自慢だった。
そんな祖母は、ワカメをたくさん食べなさいと口癖のように言っていた。
でもね、おばあちゃん。
私さ、女だけど髪の毛生えねえのよ。どんなにワカメを食べても。

「カッパ」と呼ばれた私。おちゃらけキャラを演じ、心の中で泣いていた

私の薄毛ライフは、第二次性徴期を迎えた頃から始まった。
小学生の頃までは、他の女の子たちと同じように、好きなヘアゴムでポニーテールや二つ結びをしたり、憧れの編み込みスタイルの練習ができるほど、十分な毛量があった。
友達とお互いの髪をアレンジして、キャッキャと楽しんだ思い出もある。

しかし、生理が始まり、疾風怒濤の思春期に入った頃、全身にほとばしるエネルギーと反比例するかのように、私の髪の毛はヒヨヒヨと細くなり、次第に頭皮が透けて見えるようになった。

南の離島で育った私なので、灼熱の太陽の下、歩いたり走ったりしたのが頭皮に悪かったとも思うが、同じような日々を過ごしていた友達は、みんな普通に髪が生えていた。
しかも運の悪いことに、時は中学時代。猫も杓子も容姿が気になるお年頃だ。

さらに、ここは地元の公立中学校。知的で思慮深い生徒と、授業をサボって人の悪口大会に興じる生徒とが共存する、何ともカオスな世界。
そうすると、薄毛の人間は何て呼ばれるか。
「ハゲ」「カッパ」

私は、この混沌とした世界での生存戦略として「ハゲ」「カッパ」に相応しい、おちゃらけキャラを演じて、三年間を生き延びてきた。
だが、心の中ではいつも泣いていた。

高校時代以降は「普通の髪」を持つ女の子に憧れ、出来る限りの努力をした

階段の上から、頭頂部を見られるのが怖い。
後ろの席から、後頭部を見られるのが怖い。
突然、雨が降るのが怖い。
夏のプールの授業が怖い。

幸い、その後の高校時代と大学時代では、周りの人に恵まれ「ハゲ」とも「カッパ」とも呼ばれなくなった。
しかし、せっかく「ハゲ」「カッパ」の称号から降りることができたとしても、「みんな普通に髪が生えているのに、私だけ生えていない」という劣等感は、女としての欠損感となり、私の人生にまとわりついていた。
私は、そんな自分の運命に抗うために、どうにかして「普通の髪」を持つ「普通の女の子」になれないかと、できうる限りの努力をした。

お金をかけてもなれなかった普通は、誰かが決めた勝手で出来ている

憧れのロングヘアを目指しつつ、頭頂部を隠すために、前髪をオールバックにしてみたり、お団子スタイルで誤魔化してみたが、どうにも抜け毛が止まらないので、泣く泣くショートヘアに移行した。
それ以降は、自分が本当にやりたい髪型よりも、薄毛が目立たない髪型であることが最優先となった。

髪に良い栄養素とされる「まごは(わ)やさしい」を積極的に食事に取り入れ、せっせと頭皮マッサージに勤しみ、正しいシャンプーの仕方やシャワーの温度、ドライヤーを頭に当てる角度にまで気を配った。
そしてお金が、次々とヘアケア用品や育毛代に消えていった。
上質なワックスやシャンプー、育毛剤、増毛パウダー(いわゆるふりかけ)、育毛サロン、皮膚科、サプリメント、増毛エクステ、部分ウィッグなど... とにかく「普通の髪」を持つ「普通の女の子」に見えるようになるために、百万円以上は費やしたかもしれない。

でもダメだった。
どんなに知識を取り入れて実践しても、どんなにお金をかけても、私の髪が「普通」になることはなかった。
今なら分かる。幼かった私にとって、祖母やクラスメイトの声は、その真実性に関わらず、いたずらに大きく響いただけだったこと。

そして、私が執着し続けた「普通の髪」を持つ「普通の女の子」は、誰かが勝手に決めたイメージ像に過ぎなかったこと。
何より、世の中には、実は私と同じように、周りにバレないようにしながら、ひっそりと苦しみを抱える女性がたくさんいること。

バリカンで丸坊主。今の私は女であることを一番楽しめている

SNSの発達で、多くの仲間を見つけることができたのは、私にとって大きな転機だった。
みんな~!今までどこにいたの?
なんて思ったけど、よく考えたら、彼女たちも私も、さまざまなアイテムと技術を駆使して薄毛を隠しているのだから、そりゃあ見つからなかったわけだ。
今なら言える。同じ毛なのに、何で髪だけ「女の命」扱いなんだ?
脇毛、すね毛、陰毛は必死こいて無くそうとしてるじゃねえか!

そんな私は現在、定期的にバリカンで丸坊主にして、ベレー帽とピアスでおしゃれを楽しんでいる。
どんなにケアを頑張っても、薄毛から逃れられない宿命に開き直り、去年は思いきりブリーチをして、大好きなブルーに染めた。今年はピンクにする予定だ。
帽子を被っているあたり、私はまだ全てを解放しきれているわけではないし、周りの女性たちの艶やかで豊かな髪を見て、チクリと胸が疼く時もある。

それでも私は今、ふりかけで必死に頭頂部を隠していた頃よりも、女としての自分を楽しんでいる。
そもそも、あと十数年もしたら、どうせみんなも薄くなってくるし...なんて底意地の悪いことも考えています!
だからもし、薄毛に悩んでいる女性がいたら伝えたい。
私も薄毛だよ!でも、女であることは楽しめる!
「髪は女の命。」
うっとしい前髪みたいなその価値観、一緒にバッサリ切ってみない?