勝手な解釈で「私の心」を踏み荒らされたくないから、今日も楽しそうに笑う

私は、“人生を楽しんでいる女”だ。よく言われるし、我ながら自信もある。だけど、初めて人から「君の人生楽しそうだよね」と言われた時は腹が立った。
あなたに話していない憂い事が山程あるけれど、その悲しみに飲まれてしまわないよう努力をしているんだ。気軽に私の人生を羨ましがるな。ましてや浮気症をこじらせたヒモ彼氏に対する聞き飽きた愚痴の流れでなど、絶対言われたくない。いいからその男とは別れましょうよ。私だってこの前、結婚願望はないと言っていたはずの男に「君とは結婚が考えられない」ってな理由で振られてまだ傷が深いんですよ、先輩。
そんな事をやんわりと伝えても、あの人はピンと来ていない顔していたな。絵に描いたような順風満帆、悩み無しの人生を歩んでいる人間が本当にいると思うのか? としばらくプンスコしていたら、はたと気がついた。
絶対にいないからこそ、あの人にそこまで思い込ませた私って凄いんじゃない?
この頃、私は地元で就職して、実家の隣町に部屋を借りていた。わざわざ実家を出たワケは適当に話していたけれど、実際には母との暮らしに耐えかねたからだ。
母の話は長くなるのでここでは割愛するが、母は育児で心の余裕をなくし、ヒステリー気味になってしまった人だった。父は、単身赴任でほぼ不在。兄は働き始めるや否や私を置いて家を出たので、残された私がどんな思いで母と向き合ったか知らない。恐れながらも母の牙を1本1本抜いていったら、ただのひとりの人間が現われた事にどれだけ私が傷ついたかも。
生活を別にして、母との関係が良好に保てるようになった今でも育てられた環境にコンプレックスを抱き続け、未だに枕を濡らす夜があることも、優しい夫の穏やかな義実家を訪ねる度に泣き喚きたくなるのを堪えていることも。誰にも言ってない。それは、他人の勝手な解釈で踏み荒らされたくないから。
「あんたは人生楽しんでるよね」と今では母まで笑って言う。好きな事には猪突猛進、嫌な事は全て笑いのネタに。適度に自分を売って適度な味方を作る。徒然なる悲しさは、丁寧な字で紙に書いて秘密の箱に仕舞っておく。そんな何の変哲もないモットーを持って、他人の目フィルターを通ることで“人生を楽しんでいる女”な私が完成する。
決して、平坦な人生など存在しない。誰でも何かしらを抱えている事を本当はみんな分かっているはずで、それでもつい羨んでしまうような希望の光となれるなら、私はこれからも私の辛苦を目の前の人達に理解されなくて良い。
職場選びは下手だし、男を見る目も学歴もない。友達も少ない。コンプレックスは多い。
でも、自分を喜ばせる術を知っていて、幸せな瞬間も確かにある。そういうポジティブな点だけを集めて飾り、その他は隠しておく。誰かに頼ったり支えてもらったりする事ももちろんあるけれど、その時の孤独を全て晒す事は絶対にしない。
他人に見せない部分とは、傍から見ればその人の持つ余裕になる。見せたいところだけを見せて、あとは相手のご想像にお任せすれば良い。
今の私は、“なんだかんだ良い夫に巡り会い、仕事は楽で順調、休みの日は自由気ままに過ごし、義両親にも可愛がってもらって毎日が幸せな新妻”です。楽しそうでしょ。楽しいんです。私は今日もヘラヘラして、誰も知らない私の努力を心の中でドヤります。
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