別れ際に、「身体目当てだった」と彼に告げた。

我ながらどうかと思うが、紛れもない正直な気持ちだった。より正確にいえば、私が彼と付き合ったのは、自分の意思で初体験を済ませたかったからだ。そのために、彼に近づいた。

なぜそんな行動に出たかというと、誰かにレイプされることに怯えていたからだ。

アダルトコンテンツに「レイプ」というジャンルが溢れている世の中

私は、地方の小さな村で育った。周囲を山と田園に囲まれ、徒歩圏内にコンビニすらなく、玄関に鍵をかける習慣もない、のどかな田舎だ。勉強ができた私は、大学進学とともに上京し、一人暮らしを始めた。同時にスマートフォンとパソコンも手に入れた。

街に出れば、地元とは比べ物にならない量の情報が、洪水のように押し寄せてきた。インターネット上でも、無限に情報にアクセスすることができた。無数の情報を浴びるうちに、私はレイプを非常に身近な危険として意識するようになった。

コンビニに行けば、無造作に並べられた成人向け雑誌におどろおどろしい文字が踊り、それは電車の中吊りにもあった。インターネットを開けば、女性が暴行される漫画の広告が表示され、女性を襲うストーリーのアダルトビデオがいくらでもあった。

SNSを眺めていても、女性が加害されそうになった実体験のエピソードが毎日のように流れてきて、ひどいものは殺されてニュースになっていた。また、インターネットには加害欲を垂れ流す男性と思しきコメントに溢れていた。

彼らにとって、レイプはアダルトコンテンツの一つのジャンルに過ぎないようだった。もしくは、女性への一方的な憎悪や復讐の表現のようだった。

私はレイプを恐れ、「自分の意思で」初体験を済ませようと企てた

私は恐れたし、焦っていた。殺されるよりも、犯されるほうが地獄だ。そんな恐ろしい記憶を持ったまま生きていけない。私にとっての地獄の苦しみを、加害者に弄ばれて楽しまれるなんて、とても耐えられない。レイプが初めての性的な体験になったら、一生セックスができなくなる。

だから、レイプされる前に自分の意思で初体験を済ませ、暴力的ではない性体験をしておかなければ。そうすれば、レイプされたとしても、それが性のすべてではないと思えるから。

私は同じサークルにいた、優しくてそれなりに経験がありそうな男の先輩に目をつけ、アプローチをかけた。すると彼も応えてくれ、無事に交際を開始し、初体験を済ませることができた。彼は期待通りとても優しかったし、セックスも楽しむことができた。

でも、私は彼のことを好きでなかった。レイプされる前に自分の意思でセックスをしたいという考えから、安全そうな彼を選んだだけだったからだ。彼も私のことをそこまで好きではなかったようだった。飲み会で、「俺は一人の女性と付き合うのは向いてないのかも」とこぼしていたことを知り、潮時だと思った私は、彼を振った。

別れ際、私は正直すぎるほど正直に、彼に付き合った理由を伝えた。「身体目当てで付き合った。最初から好きじゃなかった。もっと愛し合える人と付き合いたい。だから別れよう」と。彼は少し絶句していたが、別れた後に一度セックスをしたから、そこまでショックではなかったのかもしれない。

暴力的なアダルトコンテンツが多い世の中けど、元彼や夫は違う

いつの間にか、それから7年も経過した。今の私は、結婚して夫がいる。夫の好きなところは無数にあるが、安心感の一つのベースになっているのが、夫がアダルトコンテンツの暴力的なジャンルを嫌っているところが挙げられる。「嫌だ、怖い、見てられない」と言うのだ。

また、夫は私の同意がしっかりと確認できるまで、性的な接触はしてこない。この世は加害欲にまみれた男で溢れていると思っていた私は、夫のおかげで、その認識を改めることができた。

私に「身体目当てだった」と告げられた元彼も、結婚したらしい。薄情な私は全く興味が湧いてこないが、どこかで元気でやっていてくれたらいいと思う。暴力的な表現に満ちたこの世界に、安心感をもたらしてくれたのは、ひとしずくくらいは元彼の功績もあったのだ。

そう考えると、元彼と元彼のパートナーの健康くらいは願おうと思っている。