私が性教育を変えるなら、「好きな人ができたら、どうしたらいいのか」という授業にしたい。
「恋人はこうすればできるんだよ」って、誰から教わったのでしょうか
みなさんには、恋人はいますか?
その人とはどこで出会って、どうやって告白して交際に至ったのですか?
そして「恋人はこうすればできるんだよ」って、誰から教わったのでしょうか。
私はずっと、「恋愛」に振り回されてきました。しかしたくさん恋愛をしてきたわけではなく、実際はその逆で、二十四歳になっても恋人の一人もつくれずにいます。
私は、風潮としてなんとなく世間にある、なんとなくあるにもかかわらず、誰も教えてくれなかった「恋愛」にとまどっているのです。
幼い頃は「好きな男の子はいるの?」という質問の意味がわからず、話をあわせるため、適当な男の子を上げていました。
そのせいで小学生になってから、好きでもない男の子にバレンタインチョコをあげることに。ほかの男の子にも、チョコをあげたことがあります。しかしロッカーに投函したところ、宛名を書き忘れて、学級会議になりました。
中学では、「スキー合宿で転んだところを助けてもらった」という単純すぎる理由で、好きな人ができました。しかし彼は、ほかの女の子とつきあってしまい、告白もしていません。
ちなみに小中学校で「好きな人を教えても、ひやかされるだけだ」と感じてしまったため、今でも恋バナは大嫌いです。
高校は女子高に進んだため、三年間異性と関わることを忘れました。しかし大学に行ったら、周囲の女の子は平気で「恋のABC」でいうところの、「C」の話をしていました。
ギャップを感じておいてけぼりになった私は、恐ろしくなって「リア爆発しろ」と言って恋愛から逃げ続け、今に至ります。
関係を築く、気持ちを確認することから学校でしっかり教えてほしい
しかし誰からも教わっていないので、どうやって異性に声をかければいいのかすらわかりません。
男女が出会ったとき、最初にすることはなんでしょうか? 二人が出会って、まずは友だちからはじまって、お互いの思いを確認して、交際がスタートする。対話をして関係を築く、お互いの気持ちを確認することから、学校でしっかり教えてほしかった。
正しい性教育とは「より生々しいセックスを教えること」ではないと、私は考えています。
教科書で生殖器などの男女差を見て、どうやったら子どもができるかを知るだけでは、将来誰かと子どもがつくりたい、肉体的に交わりたいと思ったときに困るはずです。
私たちが対面するのは、生殖器ではなく人間なのですから。
「アダルトコンテンツが、性の教科書になっている」と指摘されることがありますが、それなら恋愛の教科書は、少女漫画や恋愛ドラマかもしれないと思います。でも「自分が好きになった人が、確実に恋人になってしまう」って、アダルトビデオよりファンタジー。勘違いしたらまずいです。「しっかり対話して、同意をとりましょう」って教えてくれたら、バレンタインチョコを押しつけたりなんてしなかったのに……。
性教育に足りないのは「怖くないよ」と言ってあげることでは
誰かを好きになる日が来る。必ずしも異性が対象の感情ではなく、そもそも性別は、男女だけではない。誰かを好きになれなくても、あせらなくて大丈夫。そして、相手の気持ちがあるから、慎重に行動しなければいけない。プライバシーにかかわる情報だから、やたらと恋愛については詮索すべきでない。
「好きな人ができたらどうするか」を考えることは、自分の性別やアイデンティティ、成長や性行為、将来やコミュニケーションについて考えることにもつながるでしょう。
恋愛や性について怖いと思う、あるいは笑って茶化してしまうのは、きっと知らないことが多すぎるから。性教育に足りないのは「あなたにもいずれ、性に対面するときがくる。そのときはこうすればいい、怖くないよ」と言ってあげることではないでしょうか。
「受精しなかった卵子が流れていく」ではなく、「あなたのガールフレンドは大量出血しているから、セックスどころか家事や仕事もできない」というように伝え方を変えれば、教科書だけのできごとではなくなるものが増えそう。