10年前の3月11日。私の15回目の誕生日。私の中学の卒業式の日。私はプレゼントを買いに行った家電量販店で、地震に遭った。
そこから数日間、私と家族は避難所生活を送った。家はぐちゃぐちゃで、とてもじゃないけど生活はできそうになかった。私の街は内陸にあったから、津波は来なかった。けれど「情報」も来なかった。だからあの地震がどれだけの被害をもたらしたかを知ったのはしばらく後だったし、「なんで救援物資が来ないんだ!」と苛立ちもした。この世にヒーローなんていない、と絶望さえした。
十数種類の商品を世に出したけれど、本当に作りたいものはまだ
あれから10年経ち、私は地元の会社でマーケッターをしている。今、担当しているのは「防災用品」だ。
被災した私が防災用品を作る。なんてピッタリなんだ! と思いながら、ここ1年で十数種類の商品を世に出した。けれど、私が本当に作りたいものは、まだ作れていない。
私があの時、本当に欲しいと思ったものは、生理用品、スマートフォンの充電器、甘いもの、の三つだ。
・生理用品
あの時、私は幸いにも生理中ではなかった。本当に良かった、と心から思った。ぐちゃぐちゃになった家の中で生理用品をトイレから出すのは、とてもじゃないが不可能だ。
避難所で生理用品の配給はなかった。アナウンスも、なかった。避難所の簡易トイレ(お祭りとかにある、縦長のアレである)にあったトイレットペーパーは、一瞬で無くなった。もしあの場で生理になったら、私は血を垂れ流すことしかできない。考えるだけでゾッとする。
・スマートフォンの充電器
中学一年生の技術の授業で、手回しのラジオを作った。充電もできる優れものだ。
それが避難時には役に立たなかった。私のスマートフォン(合格して買ってもらったiPhoneだった!)の電源が完全に切れてしまった、ということもあるが、半日ぐるぐる回して使えたのはたったの1分。誰にも連絡できなかった。
・甘いもの
アルファ米のおにぎりは、日に2回配られた。ちっちゃなおにぎりで、それでもありがたいと食べていた。飢えていたのは甘いものだ。私は避難所にいた友人と、食べ物を求めて別の避難所へ行ったり、友達の家に行ったりしていた。友達の家で貰った飴は、それはもうこの世で一番おいしい食べ物だった。甘いものでお腹は満たないかもしれないが、少なくとも私の心は満ちた。
誰も、避難の経験や苦しみは分からない。分かってもらうのは難しい
以上の3つは、「商品化できる」アイテムである。しかし、私の考えにOKはまだ出ない。私の周りの人間は、誰一人として被災していない。それは良いことだ。
しかし、誰も「避難の経験」も「避難の苦しみ」も分からない。仕方のないことだと思うし、同じ経験をしてほしい、なんて微塵も思っていない。だから、分かってもらうのは難しい。
そして生理用品。生理用品が必要なのは女性だけだから、「いる!」と私が声を上げても、「そうなの? 自分であとから入れればいいだろう」と言われてしまう。違うのだ。生理用品をあとから入れる人は、「考えて」いて、「分かって」いる人だけだ。大抵の人は分からない。
大半のユーザーは、避難の経験がない。気づきを提案すればいい
私は、「分からなくていい」と思っている。防災セットを買う大半のユーザーは、「避難の経験」がない。どの商品のネットのレビューを見ても「『良さそう』なので買いました。これを使わないことを願います」という言葉がよく見られる。「その時」になって、「入れておけばよかった!」となるのだ。買うときに「そっか、生理用品は必要だな」「充電器は絶対いるよね」「甘いものかぁ。やっぱりあったほうがいいのかな」と、気づきを提案すればいいのだ。そして、「入っていてよかった!」と思える内容にしたい。
避難所にいるだけで、心細いし、不安になる。その中で更に不安を増やすなんて、考えるだけで悲しくなる。避難所は、女性に優しくない。着替え用のテントだって、場所によっては置いていないし、運営は男性の方が多いことが大半だ。
私は避難する女性を誰一人として困らせたくない。
私はここに決意する。女性のための防災セットを作ることを。そしてそれは、いつでも持ち運べる小さなポーチで作る、ということを。
「あの時の私」のヒーローになれる、そんな商品を。