私は、この春で大学3年生になった。
最近は友達との会話の中にも「就活」という言葉が登場するようになった。といっても、自己分析も企業研究もまだまだ始めたばかりという私たちの就職談義は、漠然とした話題ばかりだ。

「女子は絶対にスカートだ、なんて決めている会社はダサいな。」私が感じた違和感

先週も同じようなゆるーい就職談義に雑談が移行した。そのとき友人が言った。
「私、就活の時に女子はスカートって決まってる会社ばっかりだったら、すぐに就活辞めたくなると思う」
私はまだ就活サイトが導くままに情報を追いかけているだけだったので、服装にまで気が回っていなかった。だから、この言葉を聞いた時に少し面食らった。そんなところに考えが及ぶのかと。
そして、私はすぐに思った。
「女子は絶対にスカートだ、なんて決めている会社はダサいな」

私たちは大学に私服で通っていて、確かにその友人はいつもパンツスタイルだったし、私はよくスカートを履いていた。その他にも、あの子だったらオーバーサイズの服をよく着ているとか、あっちの子はパステルカラーが好きらしいとか。一方で、人前でプレゼンをしないといけないときは襟が付いた服を着る。
このように、私たち大学生は服装で自分らしさを出し、人から受ける印象というのも管理していた。

私にはこの考えが植え付けられていたので、女子はスカート!と服装を固定されることに違和感を抱き、直感的にダサいと思ったのだ。
だから、私はこう答えた。
「そんな会社は入社しても、女性はこうあるべきみたいな考えを押し付けられそうだから、気にしなくていいんだよ」

中世ヨーロッパで生まれた男性はズボン、女性はスカートという慣習が今も続いている

この出来事をきっかけに、どうして「女性はスカート」という考えが生まれたのかを調べてみた。だいたいのあらましは、こうだ。
古代は男性も女性もスカート状の服装で生活していたが、中世ヨーロッパでズボンが登場したところ、馬に乗る習慣のあった男性の間で流行。その結果、男性はズボン、女性はスカートのまま、という構図が出来上がった。その慣習が今も続いており、現在のマナーと化している。

これまた、「女性がスカートを履くことが、マナー」という言葉にダサさを感じた。
マナーって、お互いが気持ちよくコミュニケーションするためのものじゃないのか。マナーって、女性がパンツスタイルでいるだけで崩れるものなのか。スカートに抵抗がある女性がスカートを履かないといけなかったら、それはお互いに気持ちの良い関係が築けていないんじゃないのか。

もう「右に倣え」の時代ではない。見た目で判断しないことが現代のマナーではないのか

現代は多様性が認められてきている時代で、これから個性がどんどん重要視されていくだろう。SNSの普及で、奇抜な見た目は異端ではなくバズりにつながるようになったし、バックボーンのない人でも大きな発言権を得られるようになった。それぞれの人が持つ特性が、見た目という側面からでも、中身という側面からでも、活かされるようになった。
もう「右に倣え」の時代ではなく、自分で作り上げていく時代なのだ。

それなら、現代のマナーは相手を見た目で判断しないこと。相手の中身も見る前提で、初対面を迎えることではないのか。