私は弁護士を目指していた。
女性が幸せに生きる世界に少しでも貢献したかったからである。弁護士バッジがあれば、なんでもできると思っていた。法科大学院の面接でも、涙目になりながらそれを力説した。
しかし、摂食障害と双極性障害という病により、あっけなく夢は潰えた。
容姿という規範にがんじがらめにされた。痩せることが私の全てだった
摂食障害になったことはまさしく、私が「容姿」という規範にがんじがらめにされていた証明である。
痩せることが私の全てであった。食べ物全てが数字にしか見えなかった。かわいいワンピースとハイヒールを履いて、骸骨のような顔に化粧をするのが幸せだった。街を歩けばかわいいと言われ、スカウトまがいに声をかけられ舞い上がった。
その頃には、痩せ過ぎてセックスもできないと彼氏に言われた。
友人に摂食障害の子が他にもいて、そうでなくても容姿で自信をなくし、あるいは逆に、過剰に自信を持ち他人を貶すような子もいたりする。
私がこうなった根本原因は、複雑だがはっきりとわかっている。親と、社会だ。
私の場合、母親がとても美しかった。どこに行っても声をかけられるような美人で、反対に父親はというと、ゴツゴツした岩のような、愛嬌のあまりない顔をしている。
幼い頃から、「あんたはママに似てないねえ」「どっちかっていうとお父さん似?」。胸が痛かった。チビにだって、お前はブサイクだと言われていることくらいわかった。どうして今私の顔の話をする必要があるのかもさっぱりわからなかった。
大人たちはいつも、大きくなったねえ、を枕詞に、顔の話をするのである。中学、高校に上がってもそれはあまり変わらなかった。太い脚が嫌で、どんなに暑い真夏でもいつも着圧の黒タイツを履いていた。
私は大学1年生をうつ病で留年し、2回目の1年生のスペイン語の授業中、涙がボロボロと溢れ止まらなくなり、そのままトイレに駆け込み、母親に電話し「整形させてくれ」と喚いた。
目頭にメスを入れ、抜糸した後の私はとても満足げだった。
染まっていない彼らを見ると、どうかそのままでいてほしいと願う
少し大人になり、大学院をやめ、今は塾講師のアルバイトをしながらなんとなくふらふらと生活している。小学生や中学生の子供たちと直接話す機会を得るようになったのである。子供たちと話していて、まだ「染まっていない」と感じると、とてつもなく安心すると同時に、どうかこれからもそのままでいてほしいと願わずにはいられない。
私には彼らが塾の外の世界で何に触れ、どんな言葉を投げかけられ、何を感じているのか、その全てを知ることはできない。
私が容姿に振り回される要因となったこれらのエピソードは、ほんの極々一部である。大人たちが放つ軽い一言が小さな体に重くのしかかっていることを自覚しなければ、その子の人生観が暗く縛られたものになりかねない。
塾で学ぶ子供らの、幼くまだ濁っていない眼差しは、いとも簡単に墨が混ざることを私はこの身で知っている。
明るい心を奪う言葉があるということ、どうか気づいて
このエッセイのテーマは「私が○○を変えるなら」であるが、私に関して言えば「私が容姿を変えなくてよかったなら」とでも言いたいところである。
過度なダイエット、拒食症、過食嘔吐、整形、今も続く精神科通い、弁護士の夢を諦めたこと、全てにおいて、そうしなくていい人生があったはずだと何度も考える。悔しくも女であることに振り回されて生きてきた自覚があるが、それでもなお人生は止まってくれない。
止めたくても、新たな命は出てくるものだ。幸いにも、私は無神経な大人の一言に真っ向から挑める弁論術がいつの間にか身についているようである。子供たちに対しては慎重に言葉を選び人生の楽しみを一つでも奪わないようにすること、そして大人たちに対しては子供から明るい心を奪おうとする発言に気づかせること。
ただの苦しんだ一人の女には、今はその程度のことしかできないかもしれないが、いずれ言葉の重みというものを突きつけてやりたいと、私はそう思っている。