見栄を張っているうちは、他者との間に薄い膜が張られたように、本当の意味で関係を築くことはできない。作りあげた自分で関わっていると、そのうち相手に人格がなくなってくる。
相手の人格や意思は関係なく、自分自身を無理矢理にでも押し付ける。相手は目の前でただ座っているだけの、受け身の存在となり、わたしをどう思っているか、それだけが関係を左右するようになる。
自力で物語を書き綴れることに気が付き、他者も全く同じなのだということ。言い換えると、自分を尊重しつつ、同じように他者を尊重することでしか、「わたしの見せ方」という鎖を外すことはできない。

ありのままでは受け入れられない。「わたしの見せ方」に縛られていた中高時代

中高時代のわたしは「わたしの見せ方」に縛られ続けていた。
中学入学当初、自分という人間のことを分かっておらず、他者のことも見えていなかったわたしは気の合わないメンバーとグループを組み、結果的に「気持ち悪い」と言われて仲間外れにあった。

「気持ち悪い」に明確な理由があるというよりは、「なんか違う」と思われていたのではないだろうか。その時に「ありのままでは、受け入れられない」と学んだ。
わたしは自分を作りこんでいくことに終始した。他人の顔色を伺い、ほぼ奴隷みたいに優しく接していた。どんな理不尽なことがあっても作りこんだぶりっこな声で話し、微笑んでいた。

あの頃のわたしは気づいていなかったけれど、周囲は「わたしの見せ方」を見透かしていただろう。そして、騙し通せると思っていたことは、結果的に周囲を見下していたことになる。
他者から見られる自分じゃなくて、わたしが見たい自分を追及していかないと、一生自分自身は見つからない。このことに気が付いたのは、大学時代のことだった。

わたしがやりたいことを、やりたいように、やりたいペースで取り組みたいという思い

大学に入学して、少しだけ「わたしの見せ方」から自由になった。
教員免許取得のために、友人たちとは別の授業を受けなければいけないことが多かったので、自然と一人でいることが増えた。田舎にある広大なキャンパスでわたしは敷地内を、自由に歩くことができた。みんなてんでばらばらなところにいて、わたしに関心を向けなかった。

朝から晩まで授業を受け、土曜日まで大学に通った。土曜日のキャンパスは、ゴーストタウンのようにわたし以外誰もいないことがあった。誰にも見られていないわたしは、本当に自由だった。

そして、月曜日にだって金曜日にだって、わたしは誰にも見られていないみたいに生きていきたいし、それができると思った。平日にだって、わたしを見ている人は誰もいないのだから。誰にも見られていないと思うと、わたしがやりたいことを、やりたいように、やりたいペースで取り組みたいと強く思うようになった。
しかし、わたしの物語を、自力で紡いでいくのは本当に難しい。

全力を尽くした経験で消え去った自分に対する過信や卑下。自分の感情に忠実に生きたい

大学2年生の時、留学をしたくても費用が捻出できなかったので、全額無料で渡米できるプログラムの選考を受けた。選考は汗が床に滴るほど緊張し、なんとか採用されても周囲のレベルが高すぎた。

このプログラムは、海外に日本の魅力を伝えようというもので、現地の企業や学校でプレゼンテーションをした。物凄い英語力やカリスマ性のあるメンバーたちと出会い、「他者の物語」に圧倒された。
それでもなんとか食らいついていく中で、自分に対する過信や卑下が消え去り、ランナーズハイに似た感覚になった。今思えば、その時にわたしの思考の膿が洗い流されたような気がする。

一度全力を尽くした経験をすると、他者の努力に気が付くようになるし、努力することの難しさも分かるから、他者に寄り添えるようになる。昔は自分が「わたしの物語」を書き綴る音も、はっきりと聞き取ることができなかった。わたしはわたし自身のことがまるで分かっていなかった。今では、他者のことも少しずつ分かっていきたいと思っている。

自分の感情に忠実に生きて、他者の感情も受け止めることができれば、薄い膜も少しずつ剥がれてくると信じている。24年生きて、これだけたくさんの人と出会っても人間関係に手触りを感じることは稀だ。

それでも、わたしは自分の人生を書き記し、他者の人生を読むことを止めたくない。