「可愛くて、羨ましい」「美人だから良いよね」
こんな言葉に対して、私はどんな言葉を返したら良かったの?何が正解だったの?
そんな言葉をかけられながら育った私は、世間一般に言う「そこそこな美人」だ。
小学校低学年までは、「可愛い」なんて誰でも言われているものだと思っていた。
しかし学年が上がり、「可愛い」は自分に向けられた言葉だと気が付いた。だんだんと異性を意識するようになり、クラス内で誰がイケメンで可愛いかの話題で盛り上がる。そんな話題で必ず名前が挙がるのが嬉しかった。
私は今まで自分に自信がなかったが、容姿に自信がついたことで明るくて社交的な性格になった。自分の周りには自然と友達が集まってくる。
「可愛くてよかった」そう思っていた。
自分が空っぽだと知り、自信が全て消え去った言葉
中学に入っても、学校で可愛いと話題になった。私は地域的に小学校の友人がほとんどおらず、友人も一から作らないといけなかったが、すぐに友人は出来た。しかも入学当時から目立っていた私は、自然と一軍の集団に入っていた。
「クラスの中心にいる自分」
そんな自分にまた優越感を感じていたのかもしれない。
しかし、2年生の時に自分って空っぽだと知った。
「顔だけのやつが」「調子に乗っている」
すれ違いざまに言われたこの言葉は、私にとって一生忘れることはできない。さらに陰口の理由が、その子の好きな人が私を「可愛い」と言ったことだったらしい。
今考えると、しょうもない事。しかし当時の私には辛すぎた。友達と思っていた子が、容姿のせいで離れていった。これで離れていくほど、自分には容姿以外に何もないのだと。今までの自信が全て消え去った気がした。
私は自分をなるべく隠し、顔も大きなマスクで覆った。部活の時も行事の時も絶対に外さない。私にとってマスクは精神安定剤だった。さらに性格も趣味も変え、「可愛い」と言われても全てネタにした。真に受けてると思われるのが怖かったから。
本来の自分を押し殺し取り繕うことで自分を守り、居場所を作った。
「調子にのっている」と言われたら。マスク姿で過ごす高校生活
高校は必死に勉強して、進学校に進んだ。何か取り柄が欲しくて勉強で、「顔だけのやつが」って言った人に「あんたとは違う」と証明したかった。これは、自分に言い聞かせるためだけだったのかもしれない。
高校進学後もマスク姿で学校生活を送った。友達のいない高校を選び、平凡だけど楽しい毎日だった。
しかし高校1年生の文化祭で、忘れかけていた「容姿」に対する意識が蘇った。文化祭中に上級生や同級生から勝手に写真を撮られたり、一緒に撮ろうと誘われた。断れないし、周りから白い目で見られている気がして仕方がなかった。また「調子のっている」と言われると思い怖かった。
まだ自我が持てず、人の目に怯えている自分の姿が惨めで悔しい。人目を気にせず、本来の姿でありたいと強く思った。
しかし自分を変えたいけど、何をすればよいか分からずに悩んでいた時にある言葉に出会った。
「自信がないのは、自分の好きなところを見つけられていないからだよ」
この言葉を聞いたときに、他人から見る自分ばかりに執着していることに気が付いた。
私のことを全て知っている人はいない。自分を一番知っているのは私であって、他人ではない。だからこそ他人の目を気にせず、自分自身を私が認めてあげることが大切だったと感じた。
また人の目に怯え、自分を抑え込んだ過去の私さえも認めてあげようと今は思っている。
「美人」で悩むことは嫌味で自慢?でも私は何度も傷ついた
未だに「容姿」を言われるたびにあの記憶は蘇る。このコンプレックスはこれからも背負っていくだろう。こんなコンプレックスさえも受け入れられるように、私は自分を模索し努力をし続けていきたい。
最後に言いたいことがある。
「美人」で悩むことは、嫌味で自慢だと感じる人もいる。しかし人の短所に対する言動は悪とするのに、長所に対しては違うのか。私はこれを伝えたい。私は周囲からすればいじめられてながかったが、「容姿」のこと何度も傷ついた。
「美人だから良いよね」その一言も人を傷つけているって気付いてほしい。