アキは、小学校6年生のときの親友だ。アキは、めちゃくちゃいい子だった。

私のおかしなファッションセンスもアキなら放っておいてくれたし、私が触覚過敏で「手のひらに当たる雨が痛い」と言ったときも、「何それ、特殊能力みたいでカッコイイ」とか的外れな褒め方をしてくれた。

私の“あの子”は、アキだ。

明るくて、的外れな褒め方をするアキと、ただただ一緒にいたかった

私はアキが好きで好きでしょうがなかった。友達とか恋愛とか、考える前のただただ一緒にいたい子がアキだった。

でも、良いことって長くは続かない。地元の中学校に進学した私たちは、すぐに別々のクラスに放り込まれた。アキは持ち前の明るさと運動神経で、あっという間に周りと馴染んだように見えたけど、私は皆同じ制服やジャージを着ることにすら抵抗があって先生と毎日揉めていた。

私が先生に問題児として扱われて、不登校になるのはあっという間だった。バカみたいに優しいアキは「聡子はなんで学校に来ないんですか?」と聞いたらしい。先生は答えを濁したと、あとで聞いた。

それから私は、外部の演劇にのめり込むようになった。学校にはほとんど行かないで、横髪を刈り上げて網タイツを穿いていた。その頃には、学校に行っても私に話しかけてくる友達はものすごく減って、アキと話すこともほとんどなくなった。私たちは、変わってしまったらしかった。

それからアキのいない自己中心的な世界で、怒られたり褒められたりしながら、私は漢字をたくさん使うのをやめた。格好つけて知ったかぶるのもやめた。「教えて」って、言えるようになった。そんな私を、アキは知っているだろうか。

「アキへ。私はここで、何とかやっています」日記にこっそりそう書いた。

アキと話すことはなくて、私たちはもう交わることがなかった

一度、修学旅行のときに、アキに話しかけられたことがある。遠くにいる別の友達に手を振ったら、アキが自分かと勘違いしたようで、戸惑ったみたいに笑いながら「聡子~」と言っていた。そのときのヘラヘラした笑顔が驚くほど変わっていなくて、私はなぜか目を逸らした。アキもすぐに気がついて、気まずそうに横の友達に話しかけていた。

それ以降、アキと話すことはなくて、私たちは平行線にいるみたいだった。私の人生。もう、アキと交わらない人生。

高校に入ってからも、私の人生は決して順風満帆とはいえなくて、いじめられたり、過食嘔吐に陥ったり。じきに、学校もやめてしまった。

それでも、私は大学に行きたかったから、闘病中の母親の代わりに家事をしながら、高校卒業程度認定試験を取った。よく分からない片思いに没入して、アキや中学時代の友達のことなんか思い出しもしない日々が続いた。

私たちは変わってしまったと思っていたけど、アキはずっとアキだった

あるとき、小中時代に書道を一緒に習っていた友達とご飯に行くことになった。チェーンカフェでホットドッグを食べながら近況報告なんかをしていると、思い出したように友達が「あ、最近アキと電車でよく会うよ」と言った。私はとっさに、「アキが遅刻してないのが意外だわ!いや私に言われたくないよね!」とか笑って口走った気がする。

そのとき、なんとなく思った。私たちは変わってしまった、そう思っていたけど、アキはずっとアキだったのかもしれない。アキのいない私の人生は、私のいないアキの人生と全く平行線なんかじゃなかった。

今更追いかけて、「アキともっと話したかった」なんて、おこがましくて言えたもんじゃないけど、いつかどこかでまた会えたらアキに話しかけてみたいと思う。

アキへ。私はここで、何とかやっています。アキはどうしてる?