「運命の人って、顔が似てるらしいよ。」
こんな話をどこかで目にしたことがある。SNSだったか、ネットニュースだったか、はたまた新聞だったか。何かは詳しく覚えていない。だけど、運命の人は顔が似るという事実だけはなぜかはっきりと覚えている。

そういえば、私が振ったあの人とは、よく顔が似ていた。
友達にも「二人は顔がそっくりだねー」とか「同じ顔じゃん!」とよく言われた。2、3人とかじゃなくて、本当にいろんな人に言われた。だから自分たちでも、顔を見合わせて「鏡見てるのかと思ったわ」なんて冗談をよく口にしていた。

でも、運命の人ではなかった。

積み重なる疑問。努力をしてくれない彼と私は真反対だった

付き合って1年を越したあたりから、何かあるたびに心のモヤモヤが消えなくなった。「あれやってくれないのはなんで?」「どうしてそんなことするの?」そんな感じで、?がどんどん溜まっていった。あの人は優しいから、私が?をぶつけると全部「ごめんね。直すね」と言ってくれた。ただ。優しい、それだけだった。何回も言っていることがどうしても直らない。自分でも直せないことはよくわかっていたようだが、それでも直らなかった。というか、直すための努力をしてくれなかった。

あの人の人生は、努力というものをしてこなかった人生だったのだ。悪い意味ではなく、努力しなくても何とかなってきた、そんな才能を持ちながら生きてきたらしい。だから、急に努力してと言われても、努力の習慣がないからやり方がわからないのだ。

一方の私は、小さい頃から努力をし続けてきた。成績は常に5を取れるように頑張った。テストで80点を取っても親はほめてくれなかったので、90点はマストだと思って勉強をした。毎回定期テストのたびに心臓がバクバクいっておかしくなりそうだった。人は努力することが当たり前。そんな信念を持っている。だから、努力できないのがなぜか正直理解できなかった。

価値観が交わらないと知ったとき、私は別れを切り出した

真反対な人生を生きてきたあの人と私。それが分かってしまった。となると、あの人と私の価値観が交わらないということも決定づけられてしまったということになる。もうだめだ。努力という一つの要素だったけど、そのズレがどんどん大きくなっていくしか道がないことが分かり、私から別れを切り出した。

最初はあの人も「そんな…」といった感じで受け入れられていなかったが、時間を置き、何回も話し合いを重ねた結果承諾してくれた。相変わらず、優しい人だったので私を責めることは一切言ってこなかった。

「最後に一回、ビデオ通話してもいい?」最後のわがままをあの人から言われた。正直顔なんて見たら辛くてたまらなくなるじゃんと思ったけど、さすがに最後だからと受け入れた。

やっぱり同じ顔をしていた彼。でも私たちは運命で結ばれてはいなかった

画面が映ったとき、あの人は変わらず私とそっくりな顔をしていた。運命の人は顔が似るって聞いたのに、何でこの人じゃなかったんだろう。こんなに私と似ていて、優しい顔をしているのに。

少ししゃべった後、あの人は泣いていた。付き合って初めて私が見た涙だった。きれいできれいで、儚くて今にも消えそうな涙だった。泣き顔も心なしか、私に似ているように感じた。顔だけじゃなくて性格も似ていれば、付き合い続けられたのかもしれないのになあ。そんなことをぼんやりと思った。しばらく話し込んで思い出を振り返り、二人で泣きじゃくった。楽しい思い出も、辛い思い出も全部、全部思い出で終わらせなければいけない。それが辛かった。

しばらく話していると、とうとう寝なければいけない時間が来てしまった。今までありがとうと感謝をお互い述べ、そして最後。「じゃあ、またね」と言って、電話が切れた。私とあの人は、そこで終わった。別れたんだ、私。思いっきり泣いて、泣いて泣いて泣いていた。

住んでいる場所が全然違うから、奇跡でも起きない限りもう二度と会うことはないだろう。そう思うととても辛い。辛いけれど、受け入れなきゃいけない。もしお互い違う人と結婚して子供ができたら、その子供もそっくりだったりしてね。

今までありがとう。どうかどうか幸せになって。

さよなら、顔が似ている運命だった人。