物心ついて間もない頃から、口下手な人間としての人生を送っていた。
いわゆる「コミュ障」と呼ばれる部類に入る人間だ。
小学生の頃に受けたいじめか、私の意見を何でも否定していた毒母か、はたまた生まれ持った脳機能の偏りか。
原因はそれら全てしれないし、そのどれでもないかもしれない。

学校では、常に大勢の仲間に囲まれて盛り上がっている、スクールカースト上位の子たちがやけにきらきらと眩しく見えた。
「私もあんな風に毎日楽しく過ごせたら…」
そう思うものの、彼女らの猿真似をしたところで、スベって自分が余計惨めになるだけだった。それで、自分から人とコミュニケーションを取ろうとする自信をさらに失くし、なるべく人目を避けるように生き、しまいにはまともな喋り方を忘れる負のループへと陥った。

閉鎖的な環境を変えたくて、海外に留学した。結果は似たり寄ったりだった

閉鎖的な日本の学校という環境のせいかも?とも思い、高校は海外に留学した。
だが、結果は似たり寄ったりだった。
むしろ、根から陽気な人だらけの勢いに圧倒され、環境に馴染むことすらできなかった。
一時期とは言え、ガチで「友達ゼロ」状態だったこともある。
「笑顔で挨拶すればいいだけだよ。友達作りもそこから始まるんだよ」
私のことを心配してか、先生や一部のクラスメイト、家族からそう言われた。
でも、それができるなら悩んでなんかいなかったし、その先の会話が地獄絵図になることしか想像できなかった。

「あぁ、結局誰も分かってくれはしないんだな。だったら私は、理解してくれる人とだけ友達でいれればいい」
そう思ったものの、小学校から一貫して、友情だの交流だのを賛美する学校教育という場でそんな言い訳はかき消され、誰にも届くことはなかった。先生も生徒も皆「友達なんていて当たり前」と思える状態に何の疑問も持たない世界の方が、私には異常に思えた。
それでも、友達の多い人ほど人権が多く与えられている学校という世界で、カースト底辺の私は、まるで「人にあらず」と宣告されているような屈辱にただ甘んじるほかなかった。

帰国後、大学生になると、「リア充」という言葉に出会った。
ガチリア充は無理にしても、すっかり板についてしまった引っ込み思案癖を何とか変えたくて、それなりに“社交的”に振る舞おうと頑張っていた時期がある。
でも、無理だった。
“イケてる自分”の空気をまとい、イメージ像に合う人間を演じてみたところで苦痛しか生まれなかったし、SNSの友達の数が増えたところで、虚無感しかなかった。
「まともな大学生ならこういう生活をしているもの」というどこかの誰かが作ったらしい定義に、私は残念ながら該当しなかった。

そして、努力でどうこうできるものではないということも悟った。
かと言って、開き直って“半ぼっち”状態にでもなろうものなら、「せっかくの大学生という時期に、もったいない」という囁きが脳内のどこかからしつこく響いた。

誰かに心を開いたり、お友達を作ったりすることを強要されない社会人は天国のようだ

そんな葛藤にひとしきり翻弄された後、私は私なりの答えにたどり着いた。
「そもそも人にあまり興味がないし、合わせようとしても疲れるだけ」
「非コミュ障はむしろ相手の気持ちに鈍感なだけ」
「人間誰しも死ぬときは独り」
言ってしまえば、理屈で自分のコミュ力の欠如を正当化したいだけの、半ぼっち大学生のただの強がりかもしれない。

でも、それでいいと思っている。
自分を精神的に殺しながら薄く広い交流を持って生きるより、自分にとって心地よい環境と本当に大事な人との繋がりだけを追求しながら、孤独すら愛せるほどの精神力を培っていく生き方の方が、私の性分にずっと合っていることはもう証明されている。

そんな「元・スクールカースト最下層」も社会人になって早数年。
学生の頃は、社会に出ることがとてつもなく恐ろしく思えたけれど、完全に杞憂だったと今となっては胸を張って言える。
無論、職業選びには人一倍気を遣った。選択肢はかなり狭められたように思われたが、入社した職場はこんな私にとっても居心地がいい。何より、誰かに心を開いたり“お友達”を作ったりすることを無言の圧力によって強要されない環境というだけでも、天国のようだ。

私は私に与えられた「私」という人間の人生を、目一杯生きていきたい

今でも、口頭で何かを伝えることが絶望的に下手なのは変わっていない。そのせいで仕事中に自己嫌悪に陥ることも珍しくはない。
でも、そんなコミュ障の自分も個性の一つとしてそのまま受け入れることを、学校を離れた私は学びつつある。
と言うのも、社会人生活の片手間で、自分の経験を基に自分なりの人生哲学を執筆し、発表するようになったのだ。

喋りに関してはお世辞にも褒められたことのない私でも、文章に関しては誇りを持ち、人一倍情熱を持って打ち込めている自分がいる。それに、一人で悩んだ時間が長いからこそ、蓄積された思考もそれなりにはあると自負している。コミュ障だからこそ得られた財産に、幸いにも気付くことができたのだ。

学校の中こそが世界の全てだったかつての私自身に伝えたいことがあるとすると、「世界は広いし、人生は幅広いよ」になると思う。(もちろん、これから先人生を歩んでいく中で、今の私の状況を見て同じことを思う日がきっと来るのだろうけれど。)

幸せなことに、学校という枠が取り外された今でも、仲良くしてくれる人が私にはいる。コミュ障だろうが、非コミュ障だろうが、本当に必要な友達なら卒業後も関係は残るし、そうでなければ淘汰されていくのが自然の摂理なのだろう。それに、学校の外のコミュニティにも私の友達になり得る人はいる。今では当たり前でも、学生の頃には到底見えなかったことはいくらでもある。
何が正解かなんて分からないところに、人生の面白さも難しさもある。このことを肝に銘じながら、私は私に与えられた「私」という人間の人生を、目一杯生きていきたい。