私が今通っている学校について、書こうと思います。
私は、ある芸能のプロ奏者を養成するための学校に所属しています。
大学卒業後、社会人を一年だけ経験してから、この学校に入りました。
再来年の3月卒業すると、いよいよプロとして始動するのですが、今、色々思うところがあったりします。(なんか、ですます調で書くと落ち着いて書けるから、今回はこの文体でいこう)

ブラック企業で働いていた私。好きなことを「仕事にしたい」と思った

元々、この学校に入ることにした大きな決め手は、前職のブラックさと職務内容にものすごい嫌悪感を抱き、体も心もボロボロになったことでした。
恐らくこの嫌悪感がなかったら、私はこんな特殊な学校に入る勇気、一生出なかったと思います。

この芸能自体には、大学の頃から趣味で触れていました。そして、仕事に疲れきっていたある日、この芸能の学校の募集が、数年ぶりに出たことを知ったのです。
趣味で続けるくらいには好きだったので、「仕事にできたら、どんなに今よりいいだろう!」と、ブラック会社で働きながら夢想しました。

募集が出る前、すでにボロボロだった私は「会社を辞める!」と宣言していましたが、家族には「せめて一年続けなさい」「次の職を決めてから」などなど言われて諦めていました。
しかしこの学校の募集を受けると決めてからは、なぜかするすると話がまとまり、一気に辞職する運びに。そして、入学試験に合格して数年たち、今に至ります。

仕事にしようと思ったから気づいた気持ち。しんどさを感じるように…

たしかに、前職よりも今の気持ちは穏やかです。でも、段々気づいてきてしまいました。
私は思ったよりこの芸能を愛していないかもしれない、ということ。
多分、仕事にしようとしなければ、このことには気づかなかったかもしれません。
趣味なら、自分が好きな時に好きな分量で取り組むことができます。

しかし、仕事にするためのお稽古となると、やはり締め切りに追われます。
また、歌や曲を毎回いくつも覚えていく作業と同時に、質も上げていかなければならない。
自分の担う楽器の譜はもちろん、関連する他の楽器の譜も果てしなく覚えていかなければならない。

それらの作業は、入学前までは魅力的に映っていたのに、実際に日常になっていくと、けっこうしんどいと思いました。趣味で息抜きでやっていたものが、段々と私を追い詰めるものになっていき、自分で稽古することも嫌いになりました。
気づけば、ただ課題を乗り越えるだけの毎日に。

すでに音楽関係や、プロの仕事をしている方から見たら、何を当たり前なことを、甘ったれたことを言っているのか、と思われるかもしれません。
私もそう思います。そして、もうずっと前から「死ぬほど努力」とかが嫌いだったのに、どうしてそれが推奨されるような現場に居がちなのかと、ようやく最近疑問に思うようになりました。私はこのまま、これを職業にしていく道にいていいのか、とよく考えてしまいます。

師匠に恵まれた。それも「決められない」ことへの言い訳な気がした

しかし、私は師匠に恵まれました。
この世界で師弟関係は、死ぬまで続くもの。破門にされない限り、自分の直属の師匠とはまるで親戚のような濃いお付き合いをしていくことになります。

私と師匠は、変な言い方ですが、非常に波長が合いました。私の人格を師匠がまるごと受け入れようとしてくれることが、なんとなく分かります。私も、師匠のためなら手足となって動くことが、そんなに苦にはなりません。私がこの数年続けられたのは、本当に師匠のお陰である部分が非常に大きいです。

他にもお世話になっている先生方は沢山いて、辞めることをちらっと考えると、先生方のお顔が一人ひとり浮かび、とてもそんなことはできない、と思うのです。
それでも、古い芸能の世界なので、時代錯誤で差別的な出来事や雰囲気が多々あります。その中でも私は師匠にしっかり守られている方です。
しかし、これも自分のやりたいことがはっきり分からず、決められないことへの言い訳なような気がして悶々とする日々です。

後悔はしてない。でも、「会社員だったら」と考えてしまうことがある

前職を辞めたことと、この学校に入ったことは後悔していません。あの時の私には、この選択以外考えられなかったし、その時なりに精一杯やっていました。
でも、もし今会社員で毎月の収入があったらすぐに彼氏と結婚できたのでは、とか。そしたら20代のうちに子どもを産むこともできるのではないか、とか。今独身実家暮らしで曲を覚えるのが大変なのに、結婚して子どもが産まれたら稽古とか難しいんじゃないか、とか。
そんなことをつい思ったりもしてしまいます。

卒業する時、私は29歳。そこから安定した収入を得られるようになって自立していくことを考えると、なんだか大人になるのがずっと先のような、同世代の友人や社会から置いてけぼりにされているような、寂しい気持ちになります。

それでも。師匠が私に言った言葉を、私は思い出します。「あなたは、本当に○○(私が使っている楽器名)らしい音を打っているよ。」と。
楽器本来の音を出せている、生かせている、という意味で言われた気がしました。

師匠に言われた言葉を思い出す。これからどう感じるかは自分次第だ

こんな私から、そういう音を出せているのか。
私は中身がぐちゃぐちゃしていることがほとんどだけど、時々美しい音を打てているのかもしれない?

それと同時に、舞台に上がる時間のことも思い出します。あの緊張感、でも、舞台上の人々と、音で会話出来たような気がする時間。曲の中の物語の雰囲気を、音で表せたような気がする一瞬。

これらを思い出だすと、まだ、やっぱりダメになるまで続けようかな、と思ったりします。
私はこの芸能をそんなに好きでも、愛してもいないのかもしれない。
でも、これから「愛していく」という、その行為をしていくことはできるのではないか。今よりも、面白く取り組むことも、できるのではないか。

怠け者で、面倒くさがりだけれど、あと卒業までのまる2年間、私なりのやり方を追求していきたい。憧れ