「もっと我慢する」それが、“あの子”が高校生の冬に掲げた目標だった。

私たちが出会ったのは、高校1年生の秋。あの子は、転校生だった。それまでも“可愛い”女の子は沢山知っていたけど、こんなにも“綺麗”を体現した人間を見たのは初めてだった。

転校してきた美人なあの子。彼女も他の子と変わらないただの女子高生

クラスメイトになったあの子に、勇気を出して話しかけると、すぐに仲良くなれた。気さくな性格で、面白くて、なにより優しかったから。

あの子は私の中で「マリ」と呼ぶ友達になった。でも、すぐに彼女はトラブルに巻き込まれた。クラスの男子に一目惚れをされたのだけれど、そいつの彼女も同じクラスだったのだ。揉めに揉めた。

マリは何もしていない。話しかけてもいないし、気のある素振りも、本当に何もしていなかった。いつも一緒にいたから分かる。むしろ、そいつからのアプローチに迷惑していた。好きでもない男からの好意を、自己評価に直結させる類の人間ではないことは明らかだった。その必要がない程、マリは誰の目から見ても美しかったから。

ごたごたの騒ぎがやっと落ちついた1月、今年の目標を書くという授業で、マリは冒頭の文字が書かれた紙を私に見せた。「え?ギャグ?高校生が書く目標ちゃうやん!」そう言って爆笑する私に大真面目な顔で、「いや、もっと大人にならなあかんなって。我慢することも必要やし」と続ける。

我慢? 私がマリならば、我慢なんてしない。そのルックスを最大限生かして、好き勝手に生きる。でも、彼女はそうしない。放課後のスタバで、上手くいかない恋愛に悩み涙をこぼすマリも他の子と同じ、ただの女子高生だった。

「心の美しさが顔に出る」なんて言うけど、マリは本当その通りだった

その心が彼女をより美しく見せるのかもと思った。「心の美しさが顔に出る」なんて話は耳に挟んだことはあったけれど、すんなりと信じることは出来なかった。意地悪で可愛い子なんて掃いて捨てる程いる、という事実を知っていたからだ。

それでも、他人からの嫉妬や悪口に傷ついて自分を責めるマリの姿は、私にその話を信じさせるだけの説得力があった。

“美人”にアプローチを仕掛けてくる男というのは、自信があり、女性=アクセサリーと見なしていることが多々あるのだと、マリとの恋愛話から学んだ。彼らは“美人”というフィルターを通して、“自分自身”を見ている。だから、彼女の事を意思のある一人の“人間”だとは認識していない。まるで高級車を乗り回すように、ブランドの時計を見せびらかすように。

物語のプリンセスは、優しくて完璧なプリンスと恋に落ちるけれど、次元が一つ変わるだけでそうはいかないのだ。意地悪で厄介なヴィラン達はそのまま、時にはパワーアップして存在するのに。理不尽だ。

でも、プリンセスの美しさだけは変わらない。カボチャの馬車が迎えに来なくても、7人の小人と同居していなくても、寝ている間に王子様からキスされなくても。ずっとそのまま、誇り高く存在している。そんな大切なことを、マリは私に教えてくれている。

美人な「あの子」と出会って10年経った今でも、彼女は綺麗なまま

あの冬から10年以上経つ。アラサーになった私達は、今も仲が良い。“あの子”はかけがえのない、私の人生を構成する大切な一人となった。

ぐちゃぐちゃに苦しんだ大恋愛を終えて、シングルでいることを心の底から楽しんでいる彼女の姿に安心すると同時に、なんだかハッピーエンドの映画を観た気分になる。10年以上前に掲げた目標は形を変えて、「自分を幸せにすること」になったと、この前会ったときに語っていた彼女の言葉と表情を思い出す。

力が抜けた笑顔はどこか切なくとも、嬉しそうな決意で満ち足りていて、高校1年生の秋に見せたそれよりもずっと綺麗だった。