私は、可愛くない。
私は、美人ではない。

だから、そのままだと愛されない。
だから、他の分野で努力しないといけない。

そう思うようになり、二十数年。

美人でない自分の不運を呪いながら、他でカバーするための努力に疲れ切った私は、今の生き方に限界を感じていた。

(まあ、そんな時「容姿 コンプレックス」で検索をかけたことで、こちらのサイトに出会うことができたわけだし、不美人だからこそ得られる収穫だってあるもんだと、今なら少し笑えるわけだが)

それにしても「美人でない→そのままでも愛されない→他の分野で努力しないといけない」という価値観は、一体いつ自分の中で出来上がったんだろう。

もちろん、これまでの様々なエピソードの積み重ねだと思うが。

今回は、その中でも最も重い記憶と向き合ってみたい。

それは、父親との関係だ。

自分は意地悪婆さん役だと信じてきた

公務員の父親と専業主婦の母。ごくごく普通に仲の良い家庭で、多くの愛情を受けて育ててもらった感謝はあるが、父親に対してどうしても許すことができない点がある。

それは、幼少期から私の容姿を馬鹿にしたり、そんなに可愛くない女優やキャラクターを挙げて「お前に似ている」「お前はこういうキャラだ」と笑いながら話してきたことだ。

おとぎ話で例えるとすると「私はお姫様ではなく、意地悪な魔法使いのお婆さん役が似合う」。だから、その路線を目指せと幼少期から刷り込まれていた。

確かに私は、見た目も中身も可愛げがない子だった。

絵本やアニメの主人公であるプリンセスのような、美しさや華やかさもなければ、動物と心を通わすような心優しい女の子でもなかった。

なるほど我が子の適性を見極め、早いうちから伸ばそうと導くのは、ある意味で親の愛情とも言えるかもしれない。

皆んなから人気なお姫様よりも、誰もやりたがらない意地悪なお婆さん役は、活躍できる可能性が高い、絶好のブルーオーシャン(競争相手が少ない、未開拓の市場)とも言える。

実際に、樹木希林さん(当時の芸名:悠木千帆)は、当時31歳の若さでお婆さん役を演じ、その強烈なインパクトと存在感は、今も多くの視聴者の中で生き続けている。

もし希林さんが、私はヒロイン役しかやりたくない!と駄々をこね、仕事の幅を狭めていたとしたら、果たしてここまでご活躍されていたのか、今となっては知る由もない。

なので私は、父親の助言は、我が子の適性を伸ばしてあげたいという、彼なりの愛情のひとつだと思って受け取り、自分は意地悪婆さん役だと信じて、これまで過ごしてきた。

すべて「お父さんに褒めてもらいたかった」ここから始まっていた

しかし、二十代の後半を差し掛かった頃、身体の奥深くから湧き上がってくる、タールのようにドス黒い感情を、どうにも無視できなくなった。

学生時代も社会人となっても、いつでもどこでも何に対しても、頑張り続けないと不安だからと、常に緊張状態の中、勝ち負けにこだわり生き続けてきた結果、自律神経のバランスを崩し、2年間のうちに二度倒れたのだ。

そして、今の自分の思考を作るきっかけとなった、これまでの生き方について振り返ってみたところ、頑張り続けないと不安で仕方がなかった根底には「お父さんから褒めてもらいたかった」気持ちがずっとあったことに気づいた。

なぜ、可愛いと言ってくれないんだろう?

なぜ、お姫様は似合わないと決めつけるんだろう?

私は、この絵本に描いてあるような、醜く意地悪なお婆さんに似てるの?

醜く意地悪なお婆さんは、最後はひとりぼっちで死ぬよ?

小さな女の子の叫びが、二十数年の時を経てようやく世界に放たれた気がした。

そうか。

これまで抱いていた、容姿が美しくないことへの絶望、悲しみ、悔しさ、怒り、憎しみは、すべて「お父さんに褒めてもらいたかった」ここから始まっていたんだ。

そりゃそうだよな。醜い意地悪婆さんが幸せになれるストーリーなんか、おとぎ話やアニメではなかなか無かったんだし、当時の小さな私は知らなかったもん。

そう気づけただけで、鏡の中の私は、前よりも少しだけ綺麗に見えた。

意地悪婆さんじゃない。私は「美しい私」だ

別に、何かが大きく変わったわけではない。

相変わらず容姿のコンプレックスはあるし、これからも人と比べて落ち込む日もあるだろう。

それでも、自分の中に置いてけぼりになった、小さな女の子の私には、その子が着てみたいドレスを着せてあげたい。

そして、年齢だけはいっぱしの大人になった、今ここにいる私にも、同じように接してあげるんだ。

その姿が、他人から見て似合ってようが似合ってなかろうが、んなこたあ、ど~~~~でも良い。

意地悪婆さんじゃねえよ。私は「美しい私」だボケ。