とある金曜日、わたしは救急車で運ばれた。
「しっかりしてね」と言われる虚しさ。周りが良い人だから余計に辛い
社会人になってそろそろ1年という頃である。わたしは一向に仕事に慣れず、苦悩の日々を送っていた。
堅実だからと事務職についたものの、物事を決められた通りにきちんとこなすことが全く向いていないため、周囲がびっくりするようなミスを連発するからだ。
数字の3を2と読んで請求書を切ったり、エクセルのマスがずれていたり……。その度に、またやっちゃった!ちゃんとしなきゃ!と自分を戒める。それでも不注意は、もはやわたしにしみついた要素でどうしようもなく、上司への申し訳ない気持ちが空振りしていた。
自分を呪って発達系のクリニックに行き、不注意を矯正する薬を飲んだりもした。ミスは少し減ったけれど、0にはならなかった。「しっかりしてね」と言われるたびに虚しい気持ちが芽生えて帰路でそれを反芻する。直属の上司はもちろん、会社は良い人ばかりなので余計につらかった。
いっそ性格が悪かったら被害者ぶれるのに。電車の中で涙がでて、周囲に見られないようにぬぐった。内定の時にもらった「しっかりした良い子」という勲章も、もうなくなってしまったことだろう。
自分で選んだ環境だから頑張った。でも、いつの間にか限界が来ていた
大学は美術系で、物づくりや企画を学んでいたので「きちんとする」機会はほとんどなく、ひらめき型のわたしにとても合った環境だった。仲の良い友人たちは出版社やテレビ局といった華やかな業界でアイデア系の仕事をしている。純粋にうらやましく、嫉妬を覚えた。
自分は向いてないだろうと思ってその業界を受けなかった自分が悪いんだ、と負の感情を抑えた。今の環境を選んだのは自分自身なのだ。
ここでやると決めたのだから頑張ろう、頑張ろうと思いながら必死に仕事をして、ストレスが溜まっていることに気づかないふりをして数ヵ月が経過し、いつしか心のモヤモヤを超えて体にまで動悸やめまいといった症状がでてきた。食欲もなくなり、体重は不健康な減り方をした。
倒れたのは、あと1日働けば休み!という金曜日の朝。動悸を我慢しながらなんとか家を出たが、会社の最寄り駅で歩けなくなった。駅員さんに助けを求め、そこから病院に搬送された。
ビル街を担架に横たわって駆け抜ける自分は哀れで、滑稽でもあった。きちんとした恰好をした人たちの視線が痛く、ああ、わたしはこの人たちみたいに「きちんと」してないんだなと思ってしまった。
強がっていた私。「頑張りましたね」のあたたかい一言に救われた
「頑張りましたね。でもまだ23歳なんですよ、何にでもなれますからね。」
運ばれた先で、お医者さんも看護師さんも口々に言ってくれた。オフィス街にあるのでわたしのような人が運ばれてくることも多いのだろう。正直、定型的な言葉だな~とは思った。
しかし、それ以上に、乾いたスポンジに水がすっと吸収されるように心に沁みた。
ひとつの環境にがんじがらめになっていた自分に、こういったことを言ってくれる人はいなかったのだ。親や友人に愚痴は言っていたけれど、強がって深部の悩みまでは相談できていなかった。
その日を境に、少しだけ心が楽である。食事もとれるようになり、体も万全ではないけれど健康に近づいている。
わたしは優しくされたかったんだな。「頑張りましたね」って本当にシンプルな言葉だけど、わたしはこうゆうわかりやすいあたたかさが欲しかったのだ。
「まだ何にでもなれる」ので、今の仕事をやめることも考えたが、ひとまず続けることを選んだ。
相変わらずミスばかり。それでも、あの日「頑張りましたね」と言ってくれた病院の人たちのように、自分自身に向かってねぎらいの言葉をかけながら日々を駆け抜けている。
これって直接的な問題解決にはならないだろうけど、とても大事なことだと思う。
わたしは頑張っている。