何で働いてるのかなぁ。
お金のため……?
それはなんかぶっきらぼうすぎて違うような気がするんだよね、もう少し愛情と熱を持って働いてるから。
仕事が大好きってわけではないんだけど、それなりにベストを尽くそうと自然に思ってる。そんな思いを抱きながら働くと、喜んだり落ち込んだりがある。
そして、それは仕事から帰って開けるひと缶のビールを美味しくする。
頑張ってる!って自分で太鼓判押して飲むビールは、とんでもなく美味しい。喉越しって気分によって変わるのかなぁ?働いていると毎日の食卓が華やかになったり、励まされたりする。
毎日働かずに家にいたら、そんなふうに思えなくなってくると思うんだ。学生の長期休暇とかずっと家にいるとご飯をはじめ、生活が堕落したもんな。昼まで寝て、朝昼兼用にパンとコーヒーとお菓子なんか食べちゃってさ。
今は仕事行く前にゆっくりと飲むコーヒーなんて最高!って思うけど、学生の頃はそんな飲み方してなかったもん。
嫌なことがあった日には一輪の花を買う。そして花を愛でながら考える
やっぱりいろいろやってる中で過ごす家での時間が至福の時になるのは、仕事に励むわたしがいるからだと思う。そして、その至福の時と仕事って支え合う関係なんだよね、ゆっくりとした自分の時間に助けられることもあるから。
腑に落ちないことや辛いと思うことがやって来た日、馬が合わない上司に八つ当たりのように叱られた日なんかは、いつも以上に自分をもてなすことにしてる。
嫌なことがあった日は、駅中の花屋が空いてる時間に帰れれば花を一輪買っていく。嫌な気持ちを引きずらないでその日を嫌な日にしない一輪の花。
そうすれば、「嫌な日」を「花を買った日」に変えてくれて、その日から数日間部屋を彩ってくれる。
ただ、花を買ってすっきり嫌なことを忘れるんじゃなくて、花を愛でながら、腑に落ちなかったり、苛立ちになったりした矛盾点に潜んだ相手の気持ちを考える。
「何故、怒られたんだろう。」はわたしを見つめるためのヒントになる。
自分なりの哲学がこうした時間から出来てくると、少しのことでクヨクヨしたり、怒ったりすることが減る気がする。
子どもの頃は「夢=職業」だったけど、今は「夢=理想の自分」
「楽しい、愉快な大人になれる!」
子どもの頃はそんなこと夢と思わなかったけど、「こういう自分になりたい」っていうのはれっきとした夢だよね。
夢=就きたい職業だったけど、仕事についてからの夢はなりたい自分になること。
そうだなぁ。
仕事ってなりたい自分になるためにしてるんだ。
得たお金で理想の生活を少しずつ叶えてゆくことも、悩んだことで少しずつ自分を発見していくことも、働くことに一生懸命になると自然とついてくる。
先日、至福のビールをもっと至福にするためにビールマグを購入した。
沖縄の焼物のやちむんでグレーベースの土の色に青で模様が描かれているシンプルだけど味のあるビールマグ。
欲しかったんだよね、特別感が増すじゃない?
ビールを片手にしみしみの味玉をぱく。働くことはめぐり、なりたい自分に。
冷蔵庫から取り出した缶ビールのタブをプシュッと開ける。
いつもならそのまま口をつけるんだけど、おニューのビールマグに注ぐ。
とくとくとくと音がして泡が立つ。
そうそう、缶ビールを缶のまま飲むと泡がないのよね。
お弁当用を多めに作っておいた鶏肉と卵の煮物が、鍋の中で味がしみしみになっている。
それに熱を加えてつまみに出す。
待ってました!至福の時!
一口ごく!ビール美味しい!
その次にしみしみの卵を割って、ぱく!
うわ~!美味しい。
そして、じんわりとした疲れを帯びた身体を感じて思う。
「今日もよく働きました。」
働くことはめぐる。いいことも悪いことも。
ただ、悪いことは悪いままに流れていかないように、生活の至福を設ける。
それは人生の楽しみであって、仕事をする楽しみにもなる。