私は小学生の頃から、メガネをかけている。
その頃はメガネをしている子の方が珍しく、メガネをかけ始めた当初は、よく声をかけられたものだった。メガネをかけ始めて半年で視力が大幅に下がり、私はそれ以来、分厚いレンズのメガネを常にかけていなければならなくなった。
「メガネ」をかけていると視界は良くなるけど、痛みが付きものだった
メガネをかけるようになってから、視界が明るくなり、世界が広く感じた。その代わりに、メガネの当たる鼻の部分と耳の裏が痛くなるようになった。私は小学生にして、痛みと引き換えに良好な視界を手にしたのだ。
しかし、だんだんと痛みに耐えられなくなり、コンタクトへの憧れが出てき始めた。単に痛みに耐えられないだけではなく、メガネをかけた自分を好きになれなかったというのも理由の一つだ。
私の両親は、どちらもメガネをかけていない。私の身内には、視力が悪い人がいなかったため、メガネの苦労をわかり合える人がいなかった。そのために、コンタクトにするメリットをわかってもらえず、購入してもらうことはできなかった。
しかし、年を重ねるごとにコンタクトへの憧れは強くなっていき、何度も懇願した。年を重ねるにつれて容姿に気を遣うようになり、よりメガネに嫌気がさしていた。
あるとき、看護師をしている親戚に、このことについて愚痴をこぼすかのように話すと、コンタクトの安全性や便利さについて両親に説明してくれた。その人自身もメガネをかけていたので、「私の味方になるように話をした」と後でこっそり教えてくれた。
メガネをかけていない私は、なんだかいつもより少しうれしそうだった
そして、両親は専門の人が言うことなら大丈夫だろうと、やっとコンタクト購入を許可してくれた。こうして私は晴れて、コンタクトデビューをすることになったのだ。
眼科を受診に行った日、初めてコンタクトをした私は、久しぶりにメガネをかけていない自分を見た。それまでは、メガネがないと鏡に映る自分さえ見えなかったのだ。メガネをかけていない私は、なんだかいつもより少しうれしそうだった。
こうしてコンタクトの扉を開いた私は、おしゃれをするときにコンタクトを使うようになった。コンタクトをしている間、私は自分に誇りが持てた。なんだか自分が堂々としているのがわかった。
そして欲は大きくなり、メガネ生活をやめたいと思うようになった。毎日コンタクトで生活したいと思ったのだ。それまでは、衛生の問題からワンデーコンタクトしか買わせてもらえなかったが、それは値段が高くて、毎日はできない。私の希望を叶えるには、2ウィークのコンタクトにして、価格を抑える必要があったが、親の許可が下りなかった。
私のコンタクト生活が幕を開け、自分に「自信」が持てるようになった
しかし、その日は急に訪れた。視力がさらに悪くなり、そこでは2ウィークのコンタクトしか取り扱いがないというのだ。「それでは仕方がない」と、親も納得してくれた。
こうして、私のコンタクト生活が幕を開けた。メガネを外しただけなのに、私は自分に自信が持てた。その背景にはメガネへの偏見があると思う。「メガネはガリ勉」「メガネはブサイク」といったステレオタイプによって、私は自分に自信がなかったのだと気づいた。
私は、コンタクトをつけて新しい私を手に入れた。メガネへの偏見にも気づけた。それに気づいたことで、自分の自信のなさにも気づくことができた。コンタクトは私に自信を与えてくれただけでなく、メガネの私の劣等感を軽減させてくれたのだ。
今後、私はメガネでもコンタクトでも、堂々と生きていきたい。そう強く思った。