いろいろな“私”がいる。どれが本当か、自分でも分からない。家族からは、クールと言われる。親しい友人からは、面白いと言われる。先輩からは、頑張り屋と言われる。後輩からは、しっかり者と言われる。

さて、私は誰なのか…。

いろいろな人に私について聞いたが、どれが「本当の私」なのか困った

ちょうど1年前、就職活動が本格化した私は、幾度となく“私”と向き合うこととなった。長所、短所、自己PR。周りからの声が大切だと聞き、いろいろな間柄の人に“私”について聞いた。

そしたら、大変なことになった。みんなして、バラバラなことを言うから。私の知る“私”とは違う発見があった、どころの騒ぎじゃなかった。全部違ったから。いったいどれが本当の“私”なのかと困った。とりあえず良い感じなことをエントリーシートには記入して、提出した。

何社か面接に呼んでもらった。そこでも私は、良い感じなことを答えた。正直、受け答えをしている時、心配になった。「私、こんなこと言ってるけど、本当にそうだっけ?」と思いながら、頭の中の原稿を読み進めていた。内定は出た。でも、本当に大丈夫かと不安になった。

私は、自分でもよく分かっていない自分を演出した。一方の企業は、人物重視と言われる採用面接を通して、そんな私に内定を出してしまって、入社されてから後悔しないだろうか。

祖父の葬儀の後、お坊さんが「お経」が私に答えをくれた

内定が出てから数ヶ月後、祖父が亡くなった。祖父の名前をYとする。その葬儀でお世話になったお坊さんの話が、私の中の不安を解消してくれた。お経により、祖父の魂が旅立った後、再び私たちの前にやってきたお坊さんは、「Yさんのことを思い浮かべてください」と言った。続いて、「皆さんの頭の中には、色々なYさんがいるでしょう」と言った。「優しいYさん、働くYさん、父親のYさん。それら全てひっくるめて、Yさんなんです」と。

私は、祖父の笑顔を思い出していた。成人式の前撮り写真を見せに行ったとき、嬉しそうにアルバムを開いた優しい祖父の顔を。きっと他の人は、また違った一面を思い浮かべていたのではないだろうか。そんな話と体験が、私の中の、多面的な私に対する疑問を解消してくれた。

色々な“私”が存在していて正しいんだ。色々な見せ方、見られ方でも良いんだ。それが当然なんだ。クールな私も面白い私も、頑張り屋な私も、しっかり者な私も、それら全部が私なんだ。

自分の「多面性」を否定しないで、知ってほしいときはアピールしよう

思い返してみれば、クールと言った家族に「友達には面白いって言われるけど」と、面白いと言った友人には「家族にはクールって言われるけど」と度々心の中で否定していた。そうやって、自分を統一させようとしていた。

でも、そんな必要なかったのだ。全部が私の一部で、全部をまとめて“私”なんだから。

この4月から社会人になる。今まで以上にたくさんの人と出会って、たくさんの“私”を知ることになるだろう。それは楽しいことだと思う。もっといろいろな“私”を知って、もっといろいろな“私”を好きになりたい。

過去の自分に伝えたい。“私”の多面性を否定しないで。目の前の人に知ってほしい“私”の一面をアピールすれば、それがその人にとっての自分になるから。そしてその人は、きっとまた新しい“私”を教えてくれるから。