2020年の2月、私はケーキを焼いた。
バレンタインデーに恋人に贈るためだ。

私の恋人は女性で、だから私たちは同性カップルということになる。
付き合って初めてのバレンタインデーを目前に私の頭のなかに浮かんだ疑問は、「バレンタインデーにはお菓子を渡すのか?交換するのか?」。

彼女は女性と付き合っている時、バレンタインデーはもらう側だった

誰かとお付き合いすること自体が初めてだった私は、男性とも女性とも付き合った経験がある恋人にその疑問について尋ねてみた。
返ってきた答えは、「バレンタインはあなた(筆者)が私にお菓子をちょうだい。私はホワイトデーにお返しするね」。
聞くと、彼女はこれまでも女性と付き合っている際にはバレンタインデーはもらう側だったらしい。

私の恋人は、メンズ表記の洋服や短めのヘアスタイル、いわゆる男性的とされるような言葉遣いや振る舞いを好む、女性だ。
セクシュアリティはレズビアン寄りのバイセクシュアル。
対して私は、メンズの作りの洋服も着ることはあるが、基本は女性的とされるようなスタイルを好み、どちらかと言うと女性的な言葉遣いや振る舞いをしている気がする。
セクシュアリティは、彼女と出会うまでヘテロを自認していたが、現在はバイセクシュアル(パンセクシュアル)かな、というところだ。

こういうことを話したり書いたりする度に感じるのは、言い表すことの難しさだ。
今も内心、私の表現が誰かを傷つけてしまわないか、不安がある。
「女性的」とは?「男性的」とは?
この文章を読んでくださる方には、この文章が誰かを苦しめる価値観を再生産していないか、一緒に考えていただけると大変ありがたい。

自問した。相手が男性なら「君を守るよ」を素直に受け入れたのか

話を戻すと、バレンタインデーに恋人にお菓子を作ることになった私は、初めての経験に浮き立ちながらも少しの違和感に出会った。
違和感とはつまり、私が彼女の「かっこいいところ」も含めて好きになったのは事実だけど、女性である彼女を好きになったわけで、「女性が男性に贈る」がスタンダートとされているバレンタイデーに私から恋人へプレゼントをするのは異性愛をなぞっているみたいじゃないか、というような葛藤だと思う。

恋人と付き合う前、「私、結構亭主関白だよ」と言われたことがあった。
「亭主」も「関白」も、男性の立場を表す言葉だろう。
私はお世話好きの性質があるので、彼女と一緒に食べる果物の皮を剥いたり、洗い物をしたり、デートの日にお弁当を作ったりしたことがあった。
彼女の言う「亭主関白」の対になるような動きをしていたけれど、それは私が女だからじゃないし、彼女が男らしいからでもない。

付き合い始めてからは、「私が君を守るよ」と言われたことがあった。
大切に思ってくれているのだと感じて嬉しかったけれど、私もあなたを守れたらいいな、と思った。
そして、私がそう思った理由が恐らく「あなたも女性だから」だということに気づいてまた違和感に出会う。
相手が男性だったら「君を守るよ」を素直に受け入れ、私も相手を守りたいとは思わなかったのだろうか、自問した。

そんなふうに色々なことを考えながら、2020年3月のある日、私はミモザの花束を片手にデートに向かう。
数日前に立ち寄ったお花屋さんで綺麗なミモザの横に「3月8日は国際女性デー。イタリアでは女性にミモザを贈る日です」と説明書きがあったのを目にして、実家の庭に咲いていたミモザで花束を作ったのだった。
恋人にミモザを渡して説明したらすごく喜んでくれて、なんだか胸がいっぱいになった。

たくさん話をして、私たちは、私たちの関係をよりよく変えられた

それから約1年後の2021年2月14日。私たちカップルはお互いにお菓子を贈りあった。
私から彼女へ特に何かを言ったわけではないけれど、恋人が「今年は作ってみようかな。それで交換しない?」と提案してくれたのだった。
彼女が作ってくれたトリュフはすごく美味しくて、1年前のバレンタインの違和感と一緒に溶けてゆく。

そんなハッピーなバレンタインデーに至るまでの1年間、彼女とはたくさん話をした。
彼女が周囲の人から「ボーイッシュ」を押し付けられて嫌な思いをしたこと。
中にはひどく傷つくようなセクシャルハラスメントもあったこと。
今まで彼女が女性と付き合っていた時は「かっこよくしなきゃいけない」プレッシャーがあったこと。
私は彼女の「かっこいい」部分だけが好きなわけではないこと。
「かわいい」彼女もすごく素敵で好きだということ。

一緒に料理するのは楽しいし、一緒に片付けすると早く終わるね。
「こうあるべき」を自分や他人に押し付けるのはなるべくやめられるといいよね。

そんなやり取りを通して、私が、私たちが、私たちの関係をよりよく変えられたのではないだろうか。
これからも、きっとまた様々な違和感に出会うことになる。
時にそれらは2人の関係を分かつような大きな問題に発展するかもしれない。
けれど、なるべくお互い苦しくないかたちで、問題はしっかり問題として、変えていけたらいいな、と思う。